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2025年8月3日

福性寺のはじまり

「北区史を考える会」から「福性寺の歴史」についての原稿を依頼されています。「福性寺の始まり」について、依頼原稿を改変してアップします。

福性寺の歴史の中で1339年から1655年までについてのまとめです。

板碑について

福性寺の正確な開基は不明です。福性寺所蔵の文物の中で、最も古いものは板碑(秩父産緑泥石製の墓標)です。9基あります。最も古い板碑は南北朝時代、暦応二年(北朝年号、1339年)の建立です。後醍醐天皇の亡くなった年です。梵字の阿弥陀三尊種字と花瓶を一対置く形式です。これで1339年には、福性寺が墓地か寺であったことがわかります。さらに、梵字は真言宗僧侶の得意とするところですから、真言宗の墓地や寺であったことがわかります。しかし、中世から江戸時代始めは、高野山の使僧と呼ばれる勧化僧(高野聖)が全国を歩いていました。浄土教(念佛)と密教を兼修した僧侶達でした。このため高野聖が巡回していた可能性もあります。

しかし、応永四年(1397年)建立の板碑には、戒名と多数の梵字があります。戒名は住職が授与することを考えると、この頃には僧侶が常駐する建物(寺院)があったと思われます。

なお、板碑の中で最も新しい1491年建立の板碑には、「福徳二年」という「私年号」が記されています。これは政治的な不満を表すものではなくて、信仰により天災や抗争を免れたいとの願望を表しています。応仁の乱(1467年~1477年)や戦国時代(1493年~)の民衆の救済願望を反映しています。この地域でも混乱があったのであろうと思います。

述べてきました高野聖は慶長十一年(1606年)には、江戸幕府によって真言宗に帰入が確定しました。

丸いハスの花 各種のハスの鉢は長野県に帰りました 現在は丸い花の咲く鉢だけとなりました

丸いハスの花 各種のハスの鉢は長野県に帰りました 現在は丸い花の咲く鉢だけとなりました

ご本尊様

胎蔵界大日如来様の寛永二年(1625年)の入仏開眼です。最後の板碑の建立からご本尊様の建立までの134年間は、歴史的な文物はありません。大日如来は一切の如来と菩薩の大元(本地)です。人々を救済するために、いろいろな姿となって現れます。真言宗豊山派の寺院のご本尊様の18%が大日如来様です。

この後、寛永八年(1631年)には新寺建立禁止(何度か禁止令が出ています)となります。福性寺のご本尊様の建立は、檀家制度(寺請制度)が確立してくる初期に行われました。

高野山龍泉院の記録と高野聖

福性寺の江戸時代の記録が高野山龍泉院にあります。龍泉院 https://yakushi49.jp/10ryusenin/

先祖供養の記録です。供養依頼を取次いだのは、真言宗に帰入した高野聖です。担当地域を巡回して供養依頼を受け付け、布施(金銭など)を徴収し高野山に届けるといった勧化活動を繰り返していました。また村民が高野山に登り担当院家で直接供養してもらう場合もあったらしい。

最初の供養の記録では、寛永十二年(1635年)の供養者(施主)は福性寺とあり住職の清詮師でしょう。清詮師は明暦元年(1655年)亡です。ご本尊様とこの記録により、江戸時代の初期には、福性寺が確実に存在していました。

この後も、江戸時代からの家系である現在の檀家様の小宮家(1658年から)、石井家(1686年から)、小泉家、大郷家、堀江家、澤部家、村瀬家、海老原家のご先祖様が弘化二年(1845年)に至るまで、高野山龍泉院に供養を重ねています。

1635~1641年まで供養者の名前には姓(苗字)が記載されていません。しかし、明暦四年(1658年)からの供養者には姓が記録されています。

福性寺の過去帳

どの寺にとっても最重要な書類は過去帳(霊監簿)です。東京大空襲などにより古い過去帳は残っていない寺が多いです。しかし、福性寺の過去帳は明暦元年(1655年)からの戒名を収録しています。差別戒名はありません。さらに、この過去帳の中でも、福性寺は、すでに創立時期不明(當地年数不知)と書かれています。この時から創立時期不明であることから、1655年よりも数世代前から寺が存在したことが推定できます。

過去帳には、隣接する白山神社が福性寺の懸持ちであると記されています。延宝時代(1673~1681年)と安政2年(1855年)の地図を見ると、近隣に神明社があります。現在は廃神社です。

まとめ

板碑とご本尊様の建立、龍泉院と福性寺の過去帳から、1339年には、真言宗の福性寺があったと考えられます。

令和6年2024年5月17日いえいえ「由緒のない寺」です 福性寺の歴史https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/22978

 


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