境内の庚申塔について2回にわたり書いてきました。3回目:最後です。
令和5年2023年1月12日庚申(こうしん)塔 5基 ・・・(庚申塔1) https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/15884
令和5年2023年1月17日青面金剛・・・(庚申塔2) https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/15908
板碑型庚申塔は「延命地蔵尊」の近く「六あミだ 左一番目道地蔵尊」の左にあります(写真上 向かって左)。
石碑から読むことができる字は 、中央の「奉造立石塔壹基 信心施主 現世安穏後生善處故 也」「寛文三年(1663年)十月」かなり細かい字でたくさんの文章がありますが読むことができません。
なお、数十年前に、誰にもことわらずに塗料で水色に色彩をつけてくれました。犯人の「おばあさん」を知っていますが誰にも言ったことがありません。時の流れにより洗い流されるかなと思ってきました。しかし、いまだに水色です。私に「きれいにした」と話していました(笑)「ヘビがいる」とも話していました。本当かなー?水色の塗料を塗っても、善意?からでした。その内、孫の皆様に話して、笑いを頂こうかなと思っています。
当時、延命地蔵尊、六阿弥陀地蔵尊や板碑型庚申塔は、溶岩で囲まれた盛り土の上にありました。この「おばあさん」は、これらの石仏様を管理していると思っていたんでしょう。毎日お参りに来ていました。また、「おばあさん」が植えた草木もありました。お正月用の鉢植えの生き残りの木々などを植えていました。
庚申塔1の記事の中の庚申塔の写真もアップしました(写真下)。地蔵菩薩と聖観音様です。多分、既製品の石塔に祈願文と建立された年月を書き込んだのでしょう。
故人のお墓として既製品の大小の石仏様が売られていたようです。なお、幕末よりも江戸時代中期の方が立派(大きくて細工が丁寧)な仏様が多いという人がいます。
六地蔵塔と庚申塔の石の種類に関するご質問をありがとうございます。材料の石の名前をしりません。小杉石材工業(048-224-1483) <kosugisekizai1483@gmail.com>の小杉元治社長にお聞きした後、記事にします。
これから、墓地内の各ご家庭の墓所の石仏様を観察して、いくつかの記事にしますね。
平成30年2018年6月23日認知症とGPS?失念?阿弥陀如来https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1435