3月1日から3日まで、私の医学の専門領域の「国際会議」が、京都で開かれました。世界各国から15人の出席者があり、日本からも15人の医学者が集まり討議して結論を出します。親友で共同研究者のMichael Vieth教授ともあうことができました。
私も2題の演者と司会のご指名を受けていました。英語の発音も外国人に4回も来てもらい練習(笑)しました。質問には完璧に回答できなくても、演説内容は外国人に100%理解してもらうことが長年の習慣です。しかし、2月28日から、発熱と声が出なくなり、倦怠感もひどく出かけることができませんでした。実は新年になりましてからご葬儀が多く、特に遠方の葬儀がありました。また、お檀家の少ない寺にもかかわらず、有難いことに年回法要がとても多かったのです。過労だと思います。健康管理ができませんでした。
それでも、平熱近くになった2日に、会議に出かけました。一部を欠席したおわびに、国際会議のメンバーに私の著書(CDR版)を差し上げました。夕食はホテルです。外国人のご接待用のために、舞妓さんと芸妓さんが舞台で、「祇園小唄」を踊りました。なつかしい歌でした。舞妓さんがいうのです。5年目!の修行中と、5年も!と率直に驚きました。
祇園で思い出しました。平家物語の冒頭と、釈尊(お釈迦様・ブッダ)がお元気な時からのお寺=「祇園精舎」です。慈悲心から身寄りの乏しい人々に食物を与えていたコーサラ国の人が、釈尊のお考え(四諦八正道など)に心の底から賛同し=帰依し、釈尊のために寺院(=精舎)を寄進しました。釈尊の教団は、雨季だけは建物内で修行する(安居)ようになっていたからだと思います。これを「祇園精舎」と言いますね。「祇園」はこの寄進者たちの名前の漢訳からきています。しかし、祇園精舎は釈尊の所有物ではなくて、あいかわらず釈尊は無所有のままでした。
現在のインドの「祇園精舎」は公園となっています。日本の「祇園」は花街ですけれど。インドでも日本でも、両方とも行きたいところですか?