前回(10月15日)の記事で、北区の雨水を含むほぼ全ての下水は、王子ポンプ所から対岸のみやぎ水再生センターに送られ、処理をされた後、隅田川に流されると書きました。
航空写真(2016年・平成28年撮影)がありました。王子ポンプ所(C)からみやぎ水再生センター(B)を結ぶ送水管は、川底にあり見ることができません。現在、北区豊島からみやぎ水再生センターを結ぶ王子第2ポンプ所が建設中です。
福性寺(A)が、隅田川に隣接していることがわかります。しかし、福性寺の床上浸水は昭和33年・1958年の狩野川台風の時だけです(昭和24年から)。この時は、庫裡(くり・住職の住まい)が床上浸水となり、客殿や本堂は無事でした。
荒川の水を、現在の荒川(以前の荒川放水路)と現在の隅田川に分流する「岩淵水門」の完成以来、岩淵水門から下流の隅田川では、大洪水はなくなりました。この水門は、10年近くの工期により、大正13年・1924年に完成しました。
内務省の技師青山士氏により作られた水門です。北区の小学生は、どこかで勉強したことのある青山氏です。心が動かされるお話のおおい方です。典型的!理想的!な「明治の日本人」ですね。講談社からの評伝もあります。