真言宗豊山派による表題の講習会を聴講しました(11月24日)。演者は蓮池薫氏、タイトルは「『夢と絆』拉致問題の本質と解決への道」でした。
最初に拉致について蓮池氏から「拉致は完全な人格否定」であるとお聞きしました。全く「自由」のない生活です。何も「自由」に発言できません。衣食住も与えられますが、「自由」に選んだものではありません。信じられないような不自由、完全に「自由」のない生活です。お聞きして心が痛みました。
スパイになるための教育を受け、スパイを教育する係、また翻訳者として生活をしていたとのことでした。
拉致されたレバノンの女性4人は、レバノン政府の強硬な抗議(武力にも言及)により全員帰国し「自由」を得ました(平成9年1997年)。しかし、日本の拉致被害者の全員が帰国できない原因は、なんなのでしょうか。
この記事の中で、何度か「自由」という言葉を使ってきました。拉致の対極に位置する言葉は「自由」でしょうか?もちろん仏教から出た言葉です。覚り(さとり)の境地(心の状態)を「自由」と言いますね。束縛のない状態です。覚りの境地にあれば思うとおりに、つまり「自在」となります。観音様の別のお名前「観自在菩薩」があります。玄奘三蔵の翻訳した般若心経では、そのように翻訳されています。「自由自在」に観るのでしょうか。仏教的な「自由自在」は、誰にとってもあこがれの状態です。拉致とは「自由自在」をめざす仏教の反対語でもあるとも言えます。何とか拉致されたままの皆さんの帰国が実現して、世間でいう「自由自在」になってほしいです。
ところで、高校では「数学I自由自在」(レベルは高くない)という参考書を使っていました。タイトルは素晴らしいです。高校生ながら、数学(のテスト)でそうであったらいいな!といつも思っていました。(笑) 参考書の会社は、上手に名前を付けるものだなと感心していました。会社は仏教的な「自由自在」を知っていたのでしょう。しかし、テストでは「自由自在」には回答できず、苦い思い出があります。このため白い表紙に印刷された名前「自由自在」を今でも鮮明に記憶しています。