平成28年刊行の「堀船郷土史平成増補版」に掲載された梶原堀之内村の写真です。同じものを「福性寺の歴史第5版」に転載しました。しかし、図中の数字(4の鎌倉往還=鎌倉街道)に間違いがあり、このホームページに掲載したものが「堀船郷土史平成増補版」と同様に正しいです。
国立国会図書館所蔵の安政2年(1855年)に幕府普請方役所(神吉兵左衛門など)に提出された武州豊島郡梶原堀之内村絵地図です。この地図を幕府に提出したのは、梶原堀之内村惣代 名主 忠三郎と組頭(名主の補佐役)の常七であると地図の別ページに記載されています。この2人のお名前は福性寺の過去帳の中にあり、石井家のご先祖様である石井忠三郎様(明治17年12月28日亡、90歳)と石井常七様(明治19年年3月7日亡、76歳)であり、お命日、没年齢とお戒名もわかります。明治維新後に亡くなっています。お二人とも当時としては大変な長命でした。現在、20軒の石井家が福性寺のお檀家です。
この地図には梶原塚(3)と神明社(5)が記載されていますが、しかし、私(昭和24年生まれ)の子供の頃には、神明社はすでに存在していませんでした。また、この地図を見るまで福性寺の左わき(ご本尊様にとって左、地図では右)に神明社があったことを知りませんでした。この場所の神明社についてい詳細を御存じの方は教えて下さい。
図中の1は福性寺、2は白山神社、3は梶原塚、4は鎌倉往還、5は神明社です。これらの数字は私が書き加えました。白山神社と神明社は、福性寺の掛持ちでした。上中里から続く道につながる梶原商店街と仲通り商店街は、鎌倉往還の一部です。梶原塚(問矢商店、ポンプ場、東都タクシー王子営業所、豊島西福寺前)近くも鎌倉往還です。当然ですが、村内は田と畑ばかりです。
この地図をご覧になりたい方は、以下をご覧下さい。
1.国立国会図書館のホームページ。
2.「福性寺の歴史第5版」言い伝えではありません。人文科学的に書かれた寺の歴史書です。無料です。福性寺で差し上げています。この第5版の配布を終わりますと3000部以上を配布したことになります。
3.「堀船郷土史平成増補版」旧、梶原堀之内村と船方村(併せて現在の北区堀船)の歴史書です。印刷実費500円です。堀船不動産(梶原商店街)と福性寺にあります。