1月31日はお檀家様の葬儀の後、夕方からは法類の先師供養(亡くなった師僧の追善供養法要)を巣鴨の真性寺様でおこないました。法要は若手の僧侶によっておこなわれ、私のような非!若手(古手・笑)はお客様席でした。この後、上野池之端の東天紅で懇親会でした。
法類とは平成30年・2018年4月11日の記事で、ご説明致しました。同じ師匠を持つ僧侶や寺のグループ・集団を言います。私たちの法類は、現在では真性寺や足立区沼田の恵明寺と、何らかの関係のあった寺院と僧侶の集まりです。
しかし、文化時代(1804年から)の柏崎(新潟県)の貞誉師や、天保時代(1831年から)の憲誉師(千葉県寳幡寺住職)が法類の始まりです。世代的に憲誉師の4世代あとの僧侶が私の父です。福性寺は藤本饒誉師から、父の叔父の上東野(かとうの)昭良師がお譲り頂きました。父の師僧は上東野師です。しかし、上東野師が早逝しましたので、20年間、真性寺(清水教誉猊下も師僧です)にお世話になりました。父が45歳の時に福性寺に着任しました(昭和15年)。上東野師(大正6年着任)の着任前は、無住職寺でした。その後も、5年以上も無住職寺の期間がありました。つまり、当時の福性寺は現在の農村や山村の過疎地域や限界集落にある寺と同じ(廃寺の可能性がある)状態でした。
巣鴨真性寺は、江戸六地蔵様が境内に安置されています。江戸六地蔵は、江戸に出入りする主要街道に建立されました。江戸六地蔵の第四番が真性寺のお地蔵様です。高さは3m弱です。父も20年間毎日お参りしたお地蔵様です。少し前に大々的な修理が行われました。修理の終了時の法要では、私を含む法類の僧侶が式衆をつとめました。入仏式(正徳4年・1714年)後、300年となります。ご立派なお地蔵様です。皆様もご参拝下さい。