平成29年(2017年)9月1日から7日まで、スイスのジュネーブの国際会議場において、医学・食道関係の国際学会(OESO)に出かけ、発表してきました。ジュネーブへは、パリで乗り継ぎました。私の引退講演会(国際シンポジュウム東京食道研究デー2015)に来日した多くの外国の友人とあえることも、楽しみの一つでした。
国際学会に出かけますと、時間を作って外国の墓地を視てくるようにしています。ニュージーランド留学中は、オークランドのユダヤ人墓地で、よく読書をしました。
今回は、乗り継ぎで訪れたパリの「モンマルトル墓地」を視てきました(4回目と思います)。ハイネ、フーリエやドガのお墓があります。
アランドロンと一緒に歌っていた歌手のダリダの墓地の前で、一人の老人と出あいました。
知る人ぞ知る「甘い囁き・パローレ・パローレ」(いいですね!微笑)のアランドロン!・・・・・では、ありませんでした。
ディオールで、ダリダの洋服を作っていた人(クチュリエ・洋服職人)であるとのことでした(写真)。日本に何度か来たことがあると話していました。ダリダのお墓には、毎週、来るそうです。
私は、西洋人はあまりお墓参りをしないと思っていました。しかし、人によるようです。この人が、お墓に何事かを語りかけていました。また、モンマルトル墓地を静かでとてもよい場所であると話していました。私は会計係と彼とのフランス語の聞き役です。まったくフランス語ができません。
ダリダのお墓の周りには、花の植木鉢がたくさん供えられ、カラフルなバラやハイビスカスの木もありました。私もお参りをしました。
お花は墓地の門の手前左側に花屋さんがあります。鉢植えです。その先、門の近くには、ビストロ、さらに先に斎場(葬儀社?)もあります。
この墓地には、家族墓もたくさんあります。また、陶器製の故人の顔写真がかなりありました。お墓には、水のたまる花立はありませんでした。このため、ボウフラや蚊の害はないようです。
福性寺の墓地でも、見習うべき点がありました。