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2022年3月13日

在ハンガリー の共同研究者からのメール(ウクライナ難民と4回目接種に言及)

埼玉医科大学の共同研究者からメールを頂きました。興味深い文章で転載します。なお、共同研究者の先生に手術をして頂いた福性寺のお檀家がおいでです。現在、ハンガリーで教えています。本ホームページの読者の中には、多分先生をご存知の医師もおいでと思います。転載許可済みです。以下です。

ロシアによるウクライナ侵攻で結構日本の皆さんに心配していただいているのですが、ハンガリーは今のところなんら影響はなさそうです。テレビをつけてもハンガリー語なのでさっぱりわかりませんが難民を受け入れているらしいことはわかります。ウクライナとわずかに国境を接しているのでそこにも多くの人が避難してくるみたいです。ポーランドは避難民が多く娘の大学の寮にも受け入れることになったらしく2人部屋を1人で使っていたのに移動させられたとぼやいています。ポーランドへの入国にはCOVIDの24時間以内の陰性証明書がないといけないのですが、そんなことも言ってられないようでどんどん受け入れているそうです。

ハンガリーでは今週コロナの終息宣言がでて屋内でのマスク着用義務が終了しました。ただしピークは越えましたがまだまだコロナ感染は続いており、センメルワイス大学の医局でもちらほらと感染者が出ています。こちらはコロナ感染が確認されると最低5日の隔離、その後抗原検査陰性であれば職場復帰のルールです。職場でコロナ感染者がでれば日本では周囲は濃厚接触者になり大変なはずですが、こちらは全く気にしていません。

朝のカンファレンス

図1 朝のカンファレンス

朝のカンファではSocial distanceも全くなく、いつも通りでこれがWith Coronaかと考えています(図1。ワクチンはEUだからかもしれませんがたくさんあるようで6ヶ月ごとのワクチン接種が行われています。私の同僚は早くも4回目の接種をしています。余ったらアフリカにあげているそうです。

と、いうことで感染対策の元祖であるセンメルワイス教授のセンメルワイス博物館へ行きました。訪問すると館長が出てきてなにやらいろいろ話しかけてくるので、「日本の医者です、日本の医学生は全員センメルワイス教授の偉業を勉強するんです」と言ったところ、喜んでくれたようでいろいろ案内してくれました。最後に館長が「きてくれてありがとう。この本を読んでくれ」と本を渡されました。「ハンガリーの温泉」という本です(図2)

ハンガリーの温泉

図2 「ハンガリーの温泉」

結構勉強しました。ハンガリーの温泉の歴史は古く、現在残っている温泉は16世紀にトルコの統治下だった頃のものだそうです。ハンガリー現地人が最も愛するSpaはこのトルコ式のSpaです。建物も改装はしていますが基本的に16世紀の建物が原型になっています。ということで、Dr Vassおすすめのマルギット島近くのVeli Bej Spa(ブタペスト最古)へ行ってきました(図3)。ブダペストで最も有名なSpaはGellert温泉なのですが現地人に言わせると「あれは20世紀になって作られた温泉で歴史がない」のだそうです。Veli Bej Spaは大きくはないですが16世紀に建てられた特徴的なドーム状の天井で趣があります。病院に併設されていて日帰り入浴もできます。水着で入り男女混浴?でカップルがいちゃついています。

マルギット島近くのVeli Bej Spa

図3 マルギット島近くの温泉Veli Bej Spa

と、いうことでハンガリー人はトルコが好きなのかと言えばそうではないらしく、「征服された側としたらあいつら(トルコ)のこと好きなわけないだろ!でもあいつらは俺たちのことが好きらしいぜ。ハンガリー・トルコ友好150年式典とかやるんだってよ!へっ!」と言ってました。

ウクライナに関して言えば、ハンガリー人は複雑な心境のようです。かつて第1次大戦前はハンガリーはオーストリアとともに周辺国までの広い領土を持つオーストリア・ハンガリー帝国でした。大戦後現在のように多くの国に分かれたようで、かつてウクライナの一部もハンガリー領土だったようです。それもあってか現在のウクライナはハンガリー人に言わせるとかなり右寄りでハンガリー語しか話せないと差別を受けたり、学校もハンガリー語の学校がなかったりと少し複雑な心境のようでした。「もちろん戦争はダメだ、だけど・・・」と言葉を濁していました(あくまで一人のドクターの意見です)。国境が接していたり近かったりするとどこも同じだなと思います。

娘がポーランドという国を選択するに至った理由として東ヨーロッパの西から東から攻められていろんな文化が混ざり合ってるところに魅力を感じているとのことでしたが,今またその歴史が1ページめくられつつありこれ以上戦線が拡大しないことを祈るばかりです。

 

私(田久保)はハンガリーには、共産主義の時代(昭和45年1970年、大学2年生)と国際学会(2回)で、合わせて3回出かけました。最初のハンガリー訪問は、ソヴィエト連邦の崩壊の21年前です。平成3年1991年にソヴィエト連邦は崩壊しました。昭和45年のブダペストの街は、「よい意味」で共産主義の影響が薄かったです。つまり、夜の街にも繁栄があり、制限はありますが市場経済がありました。なお、共産主義の本場、ソヴィエト連邦には、大学1年と2年の時、2回訪問しました。ナホトカ・ハバロフスク・バイカル湖・ブラーツク・モスクワなどに出かけました。

ハンガリーのカリコー博士について書いたことがあります。令和3年2021年4月29日・・・(Kariko Katalin, PhD)新型コロナ・・・ 今年のノーベル賞? http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/8870


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