関東大震災で福性寺のある北区堀船の家は軒並み倒壊したらしいです。江戸時代からの本堂はこの時倒壊しました。しかし、火災の延焼はなかったようです。
ひらめくものがありました(笑)過去帳に大正12年9月1日がお命日の仏様は何霊おいでかなと調べてみました。
3霊でした。震災死と註のある仏様(1霊)もおいでになります。仏様のお歳は16歳(〇島様)。あと2霊の仏様は19歳(〇瀬様)と年齢が不詳(〇藤様)です。
お檀家から関東大震災について聞いたのは「震災後でもすぐにバラックを建てて、泣き言を言わずに結構普通に生活していましたよ(〇〇公認会計士様)」
母から聞きましたのは「三郷市延命院の虚空蔵堂が壊れるのかと思うほど揺れた。夜は東京方面の空が赤かった」東京方面の空が赤かったのは東京大空襲の勘違いの可能性があります。
「歴史地震 第 18 号(2002) 97-115 頁・・・受理日 2003/2/20 1923 年関東地震に対する東京都 23 区内(旧郡部)での 詳細震度分布、鹿島小堀研究室 武村雅之・諸井孝文」によると(赤字は田久保の追加):
堀ノ内(堀船1~3丁目)荒川沿岸沖積地 盛り土(沖積12 間)、特に荒川近 全戸数683戸 全壊286戸(38.38%)半壊262戸 全半壊を合わせると80.23% 焼失(記載)なし 震度7
船方(堀船4丁目) 荒川沿岸沖積地 盛り土、特に荒川 全戸数119戸 全壊27戸(19.56%) 半壊81戸 焼失(記載)なし 震度6+ 堀船4丁目の方が被害は小さかったようです。
また「・・・王子町堀之内や三河島町、尾久町下尾久は隅田川の南西部に沿う地域で、昭和6年、東京市に編入される際の調査報告書[東京市臨時市域拡張部(1931a)]によ れば、三河島町付近の沖積層は腐植質を多く含み,これは江戸時代以前にこの地域に多くの沼沢があったためであると推定されている.このことは武村(2002)が論文中に示した1460 年頃の江戸の地形図とも対応する。
また、昭和 7 年に刊行された三河島町郷土史[三河島町郷土史刊行会(1932)]には,1855 年(安政 2 年)のいわゆる「安政の江戸地震」の際にも、三河島村の戸数 200 余戸の内,全半潰百余戸の大きな被害が出たことが述べられており、この地域が大正関東地震の際だけでな く、昔から地震によって大きな被害を受ける地域であることを示している・・・」とあります。
堀船郷土史を語る会・田久保周誉編著「堀船郷土史」にも簡単な記事があります、
令和5年2023年5月11日震度3か4墓石・石塔は大丈夫ですhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/17987
平成31年2019年3月5日 「慈眼院」東日本大震災慰霊堂(筑西市)https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2817
平成29年2017年1月11日 江戸時代からの本堂 明治36年(1903年)の福性寺https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/352