東日本大震災の時(平成23年2011年3月11日14時46分)は、タクシーに乗っていました。
母の入院していた帝京大学病院から東京都健康長寿医療センター研究所(平成21年2009年4月に東京都老人医療センターと東京都老人総合研究所が統合)に移動中でした。
首都高速道路の高架橋の下の道です。板橋郵便局、板橋消防署と板橋警察署の前の国道17号にいました。タクシーの運転手さんのラジオが、東北で大きな地震があったと言っています。
その直後、初期微動といってもかなりの地震ですが、たいしたことはないかなと。しかし、その後、縦揺れ:本震がきました。震度5+です。
阪神大震災で阪神高速道路が横倒しになった記憶・イメージが鮮明に思い出されました。
横道に入って停車してもらいました。ビルの上からたくさんの水(なぜ?)と植木鉢が数個落ちてきました。植木鉢は車に直撃しませんでした。揺れが収まるまで「死んでしまう!」でした。
そのままタクシーで研究所に戻って、病院と研究室に大きな被害がないことを確認して、帰宅しました。
福性寺は本堂、客殿の建物自体には被害はありませんでした。本堂では、位牌堂のお位牌が倒れていました。
本堂右脇の十三重の塔が台座から移動していました。門前の寺院名石塔も倒壊していました。
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大きな墓石の倒壊はありませんでした。墓碑=墓誌、1m以下の小さな石塔や灯篭が倒れていました(15基)。
倒れた石塔のあるお檀家には、2日以内にお手紙で連絡をしました。寺で一括して修理をして請求書を送ることにしました。
大震災の時は福性寺の墓所の石塔を最初に修理するように、茨城県の石材店(三和キャストンKK)と書面により契約していました。現在は契約がありません。
7日以内に全ての修理が終わりました。総額40万円以下でした。お檀家のご負担の最高額が3万円程度で終わりました。詳しくは「福性の歴史第9版47‐48ページ東日本大震災の被害・修理」をお読みください。
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入院中の母は姉と一緒に病院の1階にいました。病棟では行方不明扱いとなりました。大騒ぎとなったようです。