眞性寺法類会の会長である鳥居愼譽猊下が遷化されました。
愼譽猊下は真言宗豊山派第30世管長、総本山長谷寺第84世化主でした。
管長とは、真言宗豊山派における最高位の指導者の役職名です。猊下とは管長の敬称です。長谷寺の化主(けしゅ)とは仏様です。能化(のうけ)ともいいます。「能化」とは「よく衆生を教化する」という意味でしょう。
令和7年2025年3月1日に遷化されました。91歳でした。3月24日、25日は通夜と葬儀でした。4月18日には49日忌において、読経をしてきました。
宗派の葬儀は6月13日午後1時から、文京区大塚の大本山護国寺桂昌殿で執り行われます。
最初に猊下のご略歴を書きます。たくさんの業績がありますので、略歴の略歴となっています。次に福性寺と私との関わりのみを書きます。
猊下は昭和8年1933年に福性寺で生まれました。千葉大学と大正大学を経て、大学院文学研究科を終了しています。
数か所の寺の住職となり、宗派の要職を歴任して、平成16年2004年に管長、化主に就任しました。
次に福性寺と私との間柄を書きます。
福性寺でお生まれになったことはすでに書きました。昭和15年まで福性寺おいでになりました。猊下のご兄弟姉妹の皆様を福性寺にお招きしたことがあります。
父(周譽師)からは、将来の相談相手は、清水淳譽師と鳥居愼譽師なって頂くようにとの遺言がありました。このため、父の死亡から、年若い住職(私です)をご指導頂きました。私は30歳から住職です。
愼譽猊下と私は、清水教譽猊下の孫弟子です。もちろん坊さんとしての「キャリア」は全くレベルが異なります。
伝法灌頂において、小松原賢譽猊下とならんで、真言宗の奥義を伝授頂きました。
眞性寺法類会は親密です。年に2回の研修旅行と研修会後の懇親会があります。施餓鬼の助法もあります。何ごとも相談にのっていただきました。今後も医学を続けるようにご指導をいただきました。
懇親会では、ご挨拶にあがると、ワインを飲んでいる私を見て「ワインの味はダメなんです」とお話になっていました。最近、猊下と同様に私も日本酒を飲むようになりました。
父の本葬儀に築山定譽猊下にお願いにあがる時に、青梅市まで同道頂きました。ご自分で車を運転していただきました。
その後の、年回忌法要のたびにお導師様をご推薦頂きました。
副住職圭誉の真言宗式結婚氏の戒師もおつとめいただきました。
父の33回忌(平成23年2011年)と27回忌(平成17年2005年)には、法要の導師をお願いしています。ちなみに、23回忌(平成13年2001年)までは清水淳譽師でした。
必ず法要では、慎譽猊下にご挨拶をいただきました。そのたびに「あれだけの大変な学問をこなし得た」と父の梵文学と悉曇学をお褒めいただきました。また、私が住職として寺院運営が容易になるようにお言葉を加えてくださいました。
父の年回忌法要の寺院向けのお土産の袈裟(光明真言織り込み如法衣)の色を決めて頂きました。櫻山法衣店についても、です。
眞性寺様の慶事や法要のお土産の袈裟などには、必ずと言っていいほど父の梵字を使っていただきました。本当に感謝しています。
私の在籍していました研究所・病院にご入院のおりは、病棟にあがっておあいしに行きました。私は幸福でした。
このほか、江戸時代からの法類の歴史を含めて、たくさんの知識をいただきました。特に、法類の起源に関しては、新潟県柏崎市の明蔵寺の貞譽師(文化元年1804年亡)と性譽師が大本であろうとお聞きしました。貞譽師の3代あとが藤本饒譽師(眞性寺・恵明寺住職)など、4代あとが清水教譽猊下と上東野照良師(父の叔父)などであり、5代あとが鳥居敬譽猊下と清水淳譽師、父など、さらに6代あとは鳥居愼譽猊下と私などが続きます。
足立区の(元)本寺恵明寺様にご案内したことがあります(平成24年2012年4月9日)。熱心に先師のお墓を見ていました。
思いつくままに書いてきました。しかし、あまりに書くことが多いことに気づきました。ここでいったん筆をおきます。
関連図書
眞性寺法類会編:鳥居愼譽猊下講演録。眞性寺法類会刊 平成23年4月1日
参考図書
真性寺法類会編:鳥居敬譽猊下米寿記念法流文集。真性寺法類会刊 昭和60年5月18日
真性寺法類会編:小松原賢誉猊下報恩法流文集。真性寺法類会刊 平成8年1月22日
眞性寺法類会編:清水教譽猊下報恩清水淳譽大僧正報恩法流文集。眞性寺法類会刊 平成29年6月18日
(以上の本の漢字の新・旧字は本のママです)
府中市梅華山光明院の住職様のブログ
鳥居慎譽猊下今月1日に御遷化 | 在俗在僧~俗であり、僧であり、僧であり、俗であり~