ミャンマー人のお客様5人(仏教徒)とお檀家の公立の大病院の副院長先生が来寺されました(写真上)。
外国人の皆様は、浅草寺や成田山など大きなお寺を訪問する機会はあっても、街中のいわゆる「小さな寺」を訪問したことがないそうです。同行の副院長先生はミャンマー語が話せるのです(驚きました!)。先生とは長いお付き合いですが、初めて知りました。頭のよい方は、才能を自慢しませんね。
また、ミャンマー人の皆様は、日本語を話すことができ、日本におけるミャンマー語の先生でした。また、英語も大丈夫でした。簡単に福性寺とご本尊様の歴史を英語ご説明して、日本人僧侶の生活を説明しました。
このあと、私が四智梵語(声明・しょうみょう)を唱え、お焼香をして頂きました。そうしましたら、お布施を頂戴してしまいました(写真下)。見学ではないんですね。参拝です。仏教の世界ではお布施喜捨は大きな意味があります。ありがたく宗教法人の収入として福性寺の帳簿に記載しました。皆様は五体投地でご本尊様にお参りしていました。
ミャンマーで思い出すのは「ビルマ(ミャンマー旧国家名)の竪琴」ですか?私はそれと、太平洋戦争(当時は大東亜戦争)中の「ビルマの戦い」です。
大戦中、ビルマは自国の独立のために、日本軍と協力関係にありました。また、ビルマの独立を支援して名高い「南機関」などにより、ビルマ独立の方針が立てられました。昭和18年・1943年には「ビルマ国」は独立しました。
現在、ミャンマーの国家最高顧問であるアウンサンスーチー氏(ノーベル平和賞)の父、アウンサン将軍は、1945年の始めまでは日本軍に協力的でありました。その後は、イギリスに協力し、日本と敵対関係となります。しかし、日本に勝利したイギリスは、ビルマを再びイギリスの植民地とします。イギリスの統治下であっても、将軍は日本人の戦犯の釈放に努めています。1948年に独立しています。また、戦後だいぶたってからですが、ミャンマー政府は、独立に貢献した「南機関」の旧軍人たちに国家最高の勲章を授与しています。戦後、ミャンマーと最も友好的な関係を維持したのは、敗戦国=日本と言えると思います。