前回、江戸時代から関東大震災までの本堂をご紹介しました。
今回は大正14年(1925年)頃完成した仮本堂として建てられた建築をご紹介します。関東大震災後から昭和37年(1962年)までの本堂です。
太平洋戦争(大東亜戦争:東アジア太平洋戦争)中の米軍の爆撃により、堀船の町はほぼ灰燼に帰しました。しかし、この本堂はご本尊様のご加護により燃えませんでした。
戦争前に、鉄筋コンクリート造りの本格的な本堂を建築する計画がありました。すでに資金の勧募も終わっていました。しかし、太平洋戦争の激化ために計画は中止となりました。戦後のインフレのために、勧募による資金は有効に使用できませんでした。
この本堂は米国産のヒノキ材で造られました。内部はコンクリートの床で、参列者は靴を履いたままイスに座りました。敗戦後、習字教室や子供会にも利用されていました。
現在の本堂内にある仏具の多くは、この仮本堂の中にあったものです。漆塗りの仏具は塗り直し、金箔は押しなおしました。
その後、現在の鉄筋コンクリートの本堂に移しました。山号額は現在のものと同じです。
昭和32年(1957年)頃撮影。