8月20日(日曜日)、玄奘三蔵法師の遺骨塔(さいたま市岩槻区慈恩寺)に参拝してきました。1年に数回、出かけます。遺骨塔前では、般若心経を読むことを習慣としています。
日本では三蔵法師と言えば、玄奘三蔵をさすことが多いですね。もちろん、高等学校の世界史の教科書でも「玄奘」の名前で出てきます。
ところで、日本人では、唯一、三蔵の称号を与えられたのは、霊仙師です。霊仙三蔵は、お大師様と同じ時に、遣唐使の一員として唐に渡たりました。45歳の時であったと伝えられています。梵語(サンスクリット)仏典の漢文への翻訳(漢訳)の功績を認められ、唐の皇帝より三蔵の称号を受けています。ある経典では、翻訳にあたり主役を務めました。しかし、帰国しませんでした。70歳近くまでの人生(68歳と言われています)だったようです。梵語、唐語に精通していました。当時は、外国語をどのように勉強したのでしょうか。教科書はあったのでしょうか。
霊仙三蔵は多数の言語に精通し、私たちが見習うべき国際人ですね。