12月8日は成道会(じょうどうえ)でした。釈尊(お釈迦様、ブッダ)が悟りを開かれたことをお祝いする日です。釈尊が35歳の時です。
一方、涅槃会は2月15日に行われることが多いです。昨日の朝の読経時にも、「成道会の朝」であることを考えると、いろいろと思うことがありました。短く言いますと、自己のいたらないたくさんの点を思います。しかし、シャラの2本の木(沙羅双樹)の近傍に横たわる釈尊の目に見えるお身体はなくなりましたが、その教え(法)は、2500年後の今も生きていますね。
ところで、この日は、太平洋戦争・大東亜戦争の真珠湾攻撃の日でもあります。福性寺には、この戦争における堀船地区の戦病没者の慰霊碑があります。慰霊碑には107名ものお名前があります。私が子供のころには、元旦、春の彼岸、8月15日(終戦の日)、秋の彼岸、12月8日(開戦の日)には、お参りの方が必ずおいででした。
最近では、お線香をお供えする方は少なくなりました。それでも墓参のおりに、必ずお生花とお線香をお供えするお檀家がおいでです。
福性寺が必ずお守りしなくてはならない大切な慰霊碑です。現在の平和に感謝しています。
慰霊碑の仏様のご家庭の中には、お二人の戦死者がおいでのご家庭も少なからずあります。
中には、父親とご長男が戦死したご家庭もあります。こちらのご長男は山西省で戦死しました。
このご家庭の母親と娘さん(ご遺族は二人だけ)は、米軍の占領による軍人恩給停止の期間をどのように過ごしたのでしょうか。米国とは、つまらないことをする国です。
平成16年に娘さんが突然亡くなりました(86歳)。生前に永代供養を依頼されていました。お戒名は、「永慈妙清信女様」です。永代供養料は駐車場の花壇の御影石製柵となっています。
福性寺では永代供養料は、必ずお檀家全体のためだけに遣います。住職家族や職員の給与・生活費として費やされることは決してありません。文字通り布施・喜捨です。
お戒名と俗名(生前のお名前)は駐車場の花壇の御影石の柱などでも見ることができます。とても、なつかしい方です。今は白宝殿(納骨堂)においでです。
生前は東京都老人医療センター(現東京都健康長寿医療センター)の外来患者でした。
現在でも遠縁の娘さん(現在はお母さんとなっています)が四季折々に納骨堂にお参りしています。ご立派です。