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2022年5月30日

故笹島耕二教授 光明の人 Academic surgeon

前回、自動車の記事を書きました。書いているうちに自動車に関連して思い出した恩師・共同研究者についてです。笹島耕二教授です 。平成24年2012年8月1日に亡くなりました。

笹島先生からは、研究論文の書き方や投稿・再投稿のし方など医学研究方法の基礎から全般にわたり「手とり足とり」で教わりました。当時、所属した外科の医局では、学識が第一番であったと思います。つまり、名高い英文雑誌に最も論文数が多かったと思います。日本の癌研究の本場である国立がんセンター研究所に国内留学した後、米国国立がん研究所National Cancer Institute(ベセスダ)に留学しました。

先生の論文業績に関する口癖は「研究だけに従事している者は、年間2報の論文を筆頭著者として書くことが研究者としての義務であり、臨床医を兼ねている研究者は、年間1報の論文を書くことが義務である」でした。数値で目標を示して頂きました。研究を始めたころは、なかなか年間1報の論文を書くことは大変でした。しかし、65歳の定年まで先生の言いつけを守ることができました。多分、国立がんセンター名誉総長・東京大学医学部教授故杉村隆先生のお考えでもあったと思います。

笹島耕二教授

笹島耕二教授(右)盛岡の学会に出かけました 学問について何でもわかっている思慮深い(光明)笹島教授と何もわかっていない高校生(+1年浪人)のまま(無明)の私(笑)との顔を見比べて下さい (退職記念シンポジウム ハンドアウト 東京食道研究ディー2015/05/09都市センターホテル)

さて、笹島先生がたまたま新車を買う時に、笹島先生とセールスマンの会話を医局の先輩や私が研究室で聞いていました。

すでに契約が終わってハンコを押していましたが、先生が言うのです。「車を買ってから今まで洗ったことがないかな?!」と。聞いた途端、私を含めてまわりの医師は大笑いでした。ところが、 セールスマンの顔色が変わり、車を再度見せて下さいと話して、駐車場にとんで行きました(笑)先生はとても 庶民的な国産車、いわゆる大衆車に乗っていました。

先生はほとんどアルバイトをせずに研究に打ち込んでいました。「正命・正精進」していました。当時(今もですかね?)の私立の医科大学の職員の給与は、とても安かったのです。週に1日、外の病院でアルバイトをすることが考慮されていました。外勤日などと言います。

先生はお酒も医局にある到来物のビールを飲んでいました。私も一緒に飲んでいました。

学問と私生活における先生のお姿は、私のお手本でした。 つまり、医学研究でも私生活でも立派な恩師に恵まれました。 それでも、私は研究する外科医(Academic surgeon, Harvey W. Cushing, MD)にはなれませんでした。

なお、笹島教授とは1981年から2003年のあいだ40報の共同著者論文(英文)があります。


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