先日の記事について「出かけられないからお墓を見せて・・・」とのメールをもらいました。昔の医師仲間からです。どうも見てから出かけるか決めるようです。
以前、シキミ(樒、シキビ)とお線香をお供えしてお参りをしました。そのおり、写真を撮りました。携帯電話の中に削除せずにありました。「吉原の悲劇の遊女若紫の墓」「新吉原総霊塔」あと「ひまわり地蔵」の写真です。
令和6年2024年4月1日「法事をすることができて幸せです」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/22136
個人のお墓ですから、ホームページにアップすることを躊躇していました。お墓は記念碑ではありません。「若紫」の実名は知られているようです。浄閑寺様の説明書(1枚)「投込み寺・浄閑寺について(浄土宗)」に実名があります。多くのホームページにお墓はすでにアップされています。このため「私のお参り写真」としてアップします。
お墓の竿石には「若紫之墓」となっています。その上に右から「角海老」と横書きであります。正面にお戒名や俗名はありません。
花立てと台の石の上のシキミと「紫色」の線香は、私が供えたものです。
なお、墓地を観て回るだけではいけません。「見物」「見学」と称して写真を撮るだけではいけません。シキミ、線香と若干のお賽銭を納めることが仏様となった吉原角海老楼の遊女「若紫」に対する礼義・供養・なぐさめかなと思います。
浄閑寺様では、シキミと線香を分けてもらうことができます。
説明書によると「紫雲清蓮信女」がお戒名です。「紫雲」!仏教者の臨終のとき、たくさんの仏がこの雲に乗って来迎する(迎えにくる)ときの乗り物の雲です。「清蓮」これも素晴らしいです。清々しくけがれのない蓮の花です。
説明書によると、明治36年8月に死亡、お墓はその10月に建立。
まだ書きたいことは多いですが、ご自分で足を運んでお参りください。
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