連休になりましてから、つづけて浅草寺のまわりを歩きました。国際通りから雷門、観音様、戻って神谷バーの角から吾妻橋西づめ・水上バスの事務所あたり、二天門までです。
お昼から午後は人出がとても多く、戸外でもソーシャルディスタンスは無理でした。やはりマスクは必須です。人力車も繁盛していました。若い人も多いですが、ご高齢の皆さんも多く、やはり浅草です。
吾妻橋はスカイツリーへ歩く人が引きを切りません。隅田川の水がきれいになりました。
吾妻橋のたもとは、以前「東京大衆歌謡楽団」(福性寺で歌ってもらったことがあります)が歌っていました。今は浅草神社の境内が多くなりました。
着物をレンタルした皆様も橋をわたっていきます。
また、永井荷風の「吾妻橋」の中で「道子」が佇んで(たたずんで)いたところです。客を待つためです(大人の世界の話です)。敗戦直後の時代です。朝、仕事(これも大人の)から三ノ輪のアパートに帰ります。住まいの近くの寺に正装した墓参の人が多く、13日・盂蘭盆会(うらぼんえ)であることに気づきます。
にわかに松戸まで墓参に出かけます。貧しくて墓石はありません。このため、国府台近くのお寺に母親の墓石の建立を依頼して帰宅します。小さな墓石の値段が6千円(?)だったと思います。仕事で得たお金を使います。
こんな小説は、私には記憶に残ります。日本的な情念の世界だからでしょうか?もちろん「道子」は小説の中の人ですが、その幸福を祈ってしまいます。
最近はお墓を小さな樹木葬墓地に移したり、身寄りのないか、少ない方は、ご先祖様をお寺に永代供養・安置をお願いしているようです。
それでも、お父様お母様ご先祖様の墓参をしたいという皆様が多いのではないかと考えています。実際、樹木葬墓地のほうが、参拝者が多いと話す住職もいます。
墓参にお出かけ下さい。