10日ほど前、ある研究所にお勤めの女性・秘書さんお二人のメールでの会話(青字部分)です。お二人とも福性寺の彼岸会読経会などにご来寺頂いています。柔和なまなざしが印象的な皆様です。
「・・・2週間ほど前、大きなケガをしてしまい、前頭部を強打して脳外科のお世話になりました。脳震盪とひどい内出血、首のむち打ち症となり、今は目のあたりまで内出血が下がってきています。車止めにつまずき転倒し、思い切り頭をぶつけてしまいました。その時は意識がなかったです。倒れた時、少し前に母が亡くなって、私がいつもとても悲しくしていたため、母が迎えに来たのかと思いました。しかし、まだまだでした」(〇〇司様)
「お怪我大変でしたね。マスクを着用していると足元が見えにくくなりますから。お母様が迎えに来るだなんて、まだまだ先のお話ですよ。でも、ずっと先のそんな日には、お母さんに迎えに来てもらうのは良いな、なんて思ってしまいますね」(〇上様)
お二人の会話に感謝したいです。お二人の文章を読むと、自然にほほえみが浮かんできますね。また、とても密教的・真言宗的と思いました。確かに、真言宗的には「亡くなった後はいつでもどこからでも、時には還ってきて、遺族・子孫を見守っている」のですから、お母様が迎えに来てもよいわけですね。何気ない会話ですが、お二人の日本的で伝統的なお考えに触れたような気がしました。換言すると、仏教的なような気がしました。
なお、この記事はお二人に読んで頂き、掲載の許可を頂きました。重ねて有難うございました。
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