「死後はどうなるんですか?」数日前の葬儀での質問です。お檀家のお嬢様からです。「死後の世界を考えることなく今を大切に生きよ!」(釈尊)ではダメですか?
オンラインでの豊山シンポジウムが令和3年3月にありました。タイトルは「葬儀再考」でした。4人のシンポジストがお話になりました。「ぶれない葬儀~密厳浄土を考える~」の演題で、真言宗豊山派総合研究院修学研究所常勤研究員の山口史恭師(福島県会津若松市金剛寺、素晴らしい僧侶です)は以下のようにお話をしています。
たくさんの前置きや議論は省略します。「故人は密厳浄土において曼荼羅(まんだら)の中の一尊となり、おおいなるいのち(大日如来)と一体となっている。そしてあらゆるイメージに変化しながら(等流身)、いつでもどこからでも、遺族・子孫を見守っている」(令和2年豊山シンポジウム「葬儀再考」冊子19ページ」:講演はインターネットYouTube期間限定配信)
つまり、私たちの死後の行き先は、葬儀の読経と引導により仏となりますので、たくさんの仏様(諸尊諸菩薩)のお待ちになる曼荼羅(まんだら、つまり密厳浄土)の中です。曼荼羅の中央には大日如来がおいでです。曼荼羅の中から家族を見守ります。
うわー!お大師様(弘法大師)は素晴らしい!ですか?ちょっと、ピンとこない!ですか?お寺の行事などに参加して、ピンとくるといいですね。
しかし、ご質問を頂いたお檀家からは「こちら帰ってくることはないのですね!」と念押しされました。ちょっと、残念そうでした。また、さみしそうでした。「帰ってくる?」のお返事は次回の記事に書きますね。
福性寺の曼荼羅は、内陣のご本尊様の左右にあります。向かって左(西)は金剛界曼荼羅、右(東)が胎蔵界曼荼羅です(メニュー「福性寺について」の「福性寺本堂内陣」を参照して下さい)。写真は胎蔵界曼荼羅です。
なお、この記事は山口史恭師にも読んで頂く予定です。