昨日6月21日土曜日13時30分から講演しました。「福性寺の歴史」についてです。福性寺内の石や紙に書かれた文字と文章について、梶原堀之内村との関連を含めて講演しました。
福性寺を語ることができてうれしい。つい、1時間もお話をしてしまいました。
「北区史を考える会」(有馬純雄会長03‐3917‐8115)の皆様と「堀船郷土史を語る会」幹事が集まりました。
特別ゲストとして、1600年代からの福性寺の檀家様に無理にお願いして、おいで頂き感想をお聞きました。ご出席をありがとうございました。何度も過去帳や石塔の説明の中でご先祖様のお名前が出てきました。同じ姓の檀家様は20軒あります。
講演のあと、福性寺最古の板碑(暦応2年1339年)などを見ました。
講演のまとめを以下に書きます。
1.倉木常夫氏・榎本龍治氏の著書(江戸時代の檀家様のお名前が高野山の龍泉院にあり)があります。とても啓発されました。
2.堀船の町の中にあった歴史的遺物は消失しています。しかし寺にあります。
3.福性寺は1339年の創建と考えられ、江戸時代から檀家様の手厚い庇護のもと今にあります。
4.江戸時代の農民はかなり豊かでした。村内に各種の講があり旅行をして、姓を持っていました。国の正史(義務教育で教える歴史)とことなります。
5.郷土史・庶民史はすぐに(80~100年)忘れ去られてしまいます。今後も福性寺では梶原堀之内村・船方村や堀船の歴史、また福性寺自体の歴史を記録します。

本堂での講演 パワーポイントのスライド数は77枚でした ご本尊様:如来様とお大師様(弘法大師様)の前ですから「適当なこと」「嘘」「過度な冗談(得意科目)=(笑)」は言うことができません 不綺語 不妄語ですね 医学会での講演よりもマジメ(笑)でした なお(笑)はジョーク・冗談です
ひとつ勉強になったことがあります。「北区史を考える会」の会員の女性から「福性寺最古の板碑は文化財で貴重なので、特別の木の枠などに納めて保護した方がよい」とお聞きしました。誠に!のその通りと思いました。
鎌倉街道、福性寺内石塔、梶原の渡し跡、北区教育委員会史跡梶原の渡し説明板を見学のために歩きました。気温は31度でした。なかなか大変でした。
しかし、カートをひく女性会員はご立派で、全行程を歩くことに問題がありませんでした。
眼科医の先生がおいでになりました。お仕事を休んでのご出席と思います。ありがとうございました。堀船の軍用鉄道と軽便鉄道(どちらかか両方)のお話がまとまりましたら、ぜひとも教えてください。「堀船郷土史令和増補版(準備中)」にご執筆ください。
最後に、本堂の暗幕はりやイスの後片付けにご協力いただいた堀船郷土史を語る会の幹事の皆様に感謝致します。
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