私の両親の出身地は千葉県習志野市と埼玉県三郷市です。
両親ともに葬儀を「おとむらい」とよく言っていました。反対に葬儀と言う言葉を聞いたことがありません。お通夜は聞きました。
調べてみました。また、私の推測を含めて書きます。
「おとむらい」という言葉は、主に北関東(栃木県、群馬県、埼玉県など)から北陸(石川県など)にかけての地域で使われているらしい。
語源は言うまでもなく「弔い(とむらい)」に、接頭辞の「お」がついた言葉でしょう。
「葬式」や「葬儀」という言葉は漢語(簡単には、漢字の音読み)のせいか、私にとってはちょっと冷たい感じです。事務的な感じがします。
「おとむらい」は故人を供養するという宗教的・情緒的な側面を強く感じるのは私だけでしょうか?
「故人を温かく送り出す」という文化の名残の言葉と言えるのではないでしょうか。
両親は「お通夜と葬儀」をひとまとめにして「おとむらい」と呼んでいたような気がします。
現代では「通夜」と「葬儀・告別式」を明確に切り離して考えがちです。
かつての習慣に照らし合わせると、「一連の儀式」としてとらえていたと思います。
昔(明治・大正生まれ)の方々にとって、葬儀は単なる数時間のイベントではなく、亡くなった直後から始まる一連の悲しみの続く長いプロセスでした(と思います)。
お通夜は夜通しでした。故人に付き添い、火葬がない場合には、葬儀後の野辺送り(埋葬)をするまでを一つの「供養(弔い)の流れ」として捉えていたため、それらを総称して=一定時の時間を「おとむらい」と呼ぶのが一般的であったのでしょう。今でも葬儀会場に泊まりこむ遺族はいます。
かつては近隣の人々が集まって数日間かけて準備や手伝いを行っていました。地域の共同体内の大きな行事でした。「心を込めて一連の供養を全うする」という深い敬意が込められていたのではないでしょうか。
すでに書きましたが、母の実家は埼玉県(三郷市など)です。「おとむらい」という表現が非常に色濃く残っている地域の一つです。特に三郷市周辺は、かつての葛飾郡に属し、古い風習を大切にする地域柄であったため、通夜と葬儀をセットにした「おとむらい」という言葉はごく自然に使われていました。
千葉県(習志野市など)も、古くからの住民の間では「おとむらい」が使われていました。
この地域では、単に儀式を指すだけでなく、近所同士で葬儀を助け合う「組」や「隣組」の活動を含めてこの言葉を使う傾向がありました。
三郷と習志野という、江戸に近いながらも豊かな地域コミュニティが維持されていた土地柄だからこそ、私の両親はその温かみのある言葉を大切に受け継いでいたのかもしれません。
「おとむらい」と言う言葉を今後も使っていきたいですね。
読者の皆様!「おとむらい」と言う言葉を知っていますか?
使ったことがありますか?教えてください。
温かくなってきました。墓参にお出かけください。
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