昨日8月4日火曜日に新潟県柏崎市の明蔵寺(みょうぞうじ)様を参拝しました。現在は中村純孝住職です。
ご本尊金剛界大日如来様と歴代住職(世代)様の墓前で、生花と線香を供えたあと読経しました。お塔婆の建立もお願いしました。ご先祖様の前ですることは僧俗同じです。以上で心が満たされました。
ところで、このHPを閲覧の皆様は、私どもの師匠・弟子関係(のグループ=法類)の名前には「誉」の字がついていることにお気づきと思います。法類の「通字(つうじ)」です。
福性寺を預かるように藤本饒譽師から命じられたのは、弟子である上東野照良師(父の叔父)です。上東野照良師は元来は成田山(「照」が通字)の出身です。法類ですが「誉」はありません。
今回の明蔵寺は、藤本師から数えで四代前の貞譽師(文化元年1804年亡)の墓所であることは、法類がよく知るところです。また、晋譽師など法名(僧侶としての名前、戒名です)の中に「誉」のある8人の墓石がありました。
今回、事前に、現在の中村住職に、世代の墓石をさらに詳しく調べていただき、過去帳も検討していただきました。
酷暑の中、石塔をお調べ頂いた中村住職に心から感謝致します。
貞譽師の墓石は、浜風による風化のために文字を読むことができない石塔の中の一つです。
中村住職によると、貞譽師の師僧と考えられる詮譽師がおいでになり、風化の少ない墓石がありました。詮譽師は安永8年(1778)に亡くなっていました。
貞譽師の弟子の一人、憲譽師(天保9年1838)が関東地方の寺(千葉県宝幡寺など)の住職にとなり、弟子の龍譽師と頼譽師が、巣鴨の眞性寺と足立区江北(沼田)の恵明寺の住職に就任となりました。これにより、現在の法類寺院の骨格、つまり眞性寺と恵明寺の末寺(清光寺、福性寺など)からなる法類寺院ができあがりました。
なお、墓石から憲譽師には性譽師という兄弟弟子がいたと思われます。
憲譽師の弟子の龍譽師と頼譽師の次の世代が藤本饒譽師と長谷川榮譽師です。藤本師は大和長谷寺・小池坊で11年間(スゴイ!)、榮譽師は5年以上の期間(記録あり)を学びました。
特に藤本師はその学識から多くの寺から住職就任の要請があったらしい。
私どもの法類・法流は藤本師に代表されるように、学ぶことが好きな僧侶の集まりであると考えています。また、そのようにありたいと思います。名誉の「誉」であり、不名誉の「誉」と言われないように!(笑)
なお、詮譽師と6代を簡略化して表すと以下です(敬称略)。
詮譽(明蔵寺)→貞譽→憲譽(関東)→龍譽(眞性寺)→藤本饒譽→上東野照良(福性寺)・清水教譽(眞性寺)→田久保周譽(福性寺)→海誉
梶原堀之内村の郷土史を勉強しているうちに、庶民史・郷土史の記憶は百年も残ることはないとわかりました。このため、今回の法類に関する詳細は、電子出版を作り残したいと思います。
生成AIを使用せずに書きました。
参考記事
令和7年2025年4月27日鳥居愼譽猊下 倍増法楽https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/28580
令和7年2025年3月5日楽しみ 父の叔父上東野照良師の師僧の墓参https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27738
令和3年2021年5月8日家伝の古い書物 寺に伝わる常用経典https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/8149
平成31年2019年2月3日戸六地蔵様のお寺で法類の先師供養法要https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2595
今回はお寺=坊さんの記事でした。面白くない?ですね。次回は、今回の旅行で出あったちょっと楽しい記事を書きます。





