真言宗豊山派白王山中台院福性寺真言宗豊山派白王山中台院福性寺
  • おばあさん、おじいさんとも歩きたい(陳情中)
  • 仏教徒海外奨学基金

最近の投稿

カテゴリ

過去の投稿

2021年5月8日

家伝の古い書物 寺に伝わる常用経典

最初に、本日は「母の日」です。昨日の土曜日から「母の日墓参」のお檀家がおいでになっています。皆さまもいかがですか?

政教分離と米国のバイデン大統領の古い聖書(1893年以前)について書きました。2月20日です。 http://fukushoji-horifune.net/blog/?p=8065&preview=true  「バイデン家に伝わる・・・」です。

福性寺にある古い書物について書きます。福性寺の最も古い本や帳面は、何といっても過去帳(霊監簿)です。明暦元年1655年(4代将軍家綱の時代)のお檀家の仏様から、お戒名俗名お命日が書かれています。親子関係も書かれています。お名前=俗名がなく、〇〇の妻、〇〇の倅(せがれ)、〇〇の長男などだけが記録されていることも多いです。外国人が来寺した時など、古い仏様のご命日は米国の独立宣言(1776年)よりも昔ですと話します。

なお、福性寺の過去帳には差別戒名はありません。しかし、住職以外のどなたも閲覧できません。どちらのお寺も同様です。福性寺(過去帳も)は米軍による東京大空襲で被災しませんでした。このため、古いものが残っています。

大正6年1917年以前 藤本饒誉師の「常用経典」

大正6年1917年以前 藤本饒誉師の「常用経典」(「福性寺の歴史」第7版 59ページ2019年) 中央の白紙のページには藤本師の印(丸に藤本)と手書きの真言が書かれています

最も古いお経本は、藤本饒誉師(大正6年1917年遷化)の遺品として上東野昭良師(父の叔父)が頂き、その弟子である父から私に伝わっているお経本です。お寺に伝わったものです。

いわゆる蛇腹本です。つまり、山折と谷折が交互にあります。経版木から摺った(刷った)ものです。かなり読み込まれています。すでに折山が擦り切れています。明治時代かそれ以前のものと思われます。

また、慈雲尊者(1718-805年、江戸時代の悉曇しったん・梵語学者)や加賀の明覚師(1056-年平安時代の悉曇学者)などの悉曇学匠による和綴じの本(当時のものではなく後世のもの)もあります。父が梵語学や悉曇学の歴史の研究・書体学のために使ったものです。なお、父は近代の梵語学の観点から、伝承されてきた悉曇学に学問的「批判」加えました。この場合の「批判」は、人文科学的に検討を加え判定や評価をすることで、非難ではないです。

実は、父の蔵書にどのような本があるか知りません。父の書斎の本棚は亡くなった時のままで、空いたスペースを私が書斎や応接間として使い、私の顕微鏡もあります。

父が亡くなってすでに40年以上ですが整理をしていません。古書には紙魚(しみ)かシバムシ(ともに書物を食べる昆虫)もいたことがあるようです。小さな穴(虫食い)が無数にあいている本もあるからです。そのうち整理しなくてはと(いつも)考えています。

悉曇学については以下の記事をご覧下さい。

令和2年2020年2月26日「悉曇・しったん」とは何ですか?「梵字の古書体学」 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5459

令和2年2020年1月20日記事の中にある「観世音菩薩真言」とは何ですか?「梵字悉曇」平川出版社1981 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5201

 

 

 

 


キーワード検索
カテゴリ
過去の投稿

ぜひ、福性寺のホームページをお気に入りに追加下さい。
最新情報を更新しておりますので、ご覧下さい。