福性寺には、門が二つあります。屋根のついていない門は、駐車場の手前、お地蔵様の近くにあります。このため、お地蔵様の門とか地蔵門と呼ばれてきました。
また、青瓦の屋根を持つ門は、山門と呼んできました。
12月30日、恒例の山門の清掃とお正月の飾りつけが終わりました。毎年、行っています。今回は僧侶4人のほかに、男性2人、女性1人、子供2人で行いました。壁をくまなく雑巾で拭きます。2時間で終わりました。
この山門は、昭和54年(1979年)に落慶しました。先代住職であった田久保周誉師が大僧正に昇任した時の総代様・お檀家の皆様からのお祝いの品です。
昭和47年に文学博士(1972年)、昭和48年(1973年)に密教学芸賞、昭和50年(1975年)に学僧最高位の勧学を頂いていました。この頃、たくさんの本も出版しています。
なにやかやで10近くのお祝いが重なり、思い切って山門を住職にプレゼントしようとなったようです。
先代住職は、この山門の受け渡し式の当日に亡くなりました。
青瓦とペンキ塗りの鉄筋コンクリート造りです。通行の皆様やタクシーの運転手さんから、新興宗教の施設ですか?(笑)と何度か質問を頂いたことがあります。
特に最近は塗料がよくなり、ピカピカに見えます。
先代住職は千葉県習志野市の出身です。青い空の広がるとても明るい農村でした。このためか、一般的な寺院の印象よりも、明るい印象を好んだようです。青瓦、青い門扉となったと聞きました。なお、本堂と客殿も青瓦です。
先代住職は、インドの古代語(サンスクリット=梵語)の専門家として知られています。現在でも、サンスクリットやウテン語(シルクロードのオアシス国家の言語)の専門書や般若心経の解説書は、売れ続けています(東京大学赤門前 山喜房仏書林 03-3811-5361)。
古い学問をしていたわりに、非常に革新的な考えの人で、建物に関しても、新しい考えを持っていたようです。
ところで、仏教寺院の山門には、門扉は不要であるとの意見もあります。どなたでも差別や区別なく、仏教的に生きることができる、また仏教徒になることができることを表すためです。
元旦読経会は、お檀家・ご信徒様以外でも、どなたでも参加頂けます。