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2023年1月5日

六地蔵様はないんですか? 六地蔵塔となっています(六地蔵塔1)

福性寺にも六地蔵様はあります。福性寺の六地蔵様は、六角柱の各側面に六体のお地蔵様が彫られている、いわゆる六地蔵塔です。六地蔵様は寺の山門近くにそれぞれ独立して、六基(体)の石塔として建立されていることが多いです。福性寺の六地蔵様は六地蔵塔ですから、面積をとらないコンパクト版です。目立ちません。現状では高さが2m弱、80㎝弱四方の台座があります。

この六地蔵塔にはちょっとした不思議が四つあります。大したことないですけど。

片側の屋根石が大きく損傷しています。関東大震災の時に落下したのでしょうか。もともとは、公道上にありました(「福性寺の歴史第8版」80ページ)。その後、門前に移り(「福性寺の歴史第8版」92ページ)、現在は山門の中に安置されています。

明治30年(1897年)年3月建立 六地蔵塔 福性寺の六地蔵様は六角柱の各側面に六体のお地蔵様が彫られている六地蔵塔です。見える左の地蔵菩薩は天蓋、右は幢幡をお持ちです。

明治30年1897年年3月(?)建立  屋根石の損傷は反対側にあります 周囲の三つの石塔は庚申塔です

台座には、明治三十年(1897年)年三月とあります。台座の片面には「飛鳥山前町 久保田林造、大工 吉五郎」と書かれています。また、「(祠)堂金三円」もあります。反対面には「熊木氏」と彫られています。明治30年ごろのお檀家のなかに、久保田家や熊木家はありません。大工 吉五郎には姓が書かれていません。石屋さんですね。なんでお檀家ではない方々が?一つ目の不思議です。

福性寺の六地蔵様のお持ちになる物は、参道側から右回りで、天蓋(てんがい)、柄香炉、合掌、宝珠、宝珠・錫杖(しゃくじょう)、幢幡(とうばん)です。数珠、経巻、梵篋(ぼんきょう、木の葉に書かれた経)を持つお地蔵様はありません。与願印、施無畏印のお地蔵様もありません。六地蔵様の持ち物は、時代と地方により、かなり異動があるようです。しかし、いずれも端正なお顔です。

天和(1681年~)、天明(1781年~)、文政(1818年~)、天保(1830年~)時代などが命日のお戒名がお地蔵様のかたわらに彫られています。しかし、風化により一部しか読むことができません。

写真に見える左の地蔵菩薩は天蓋をお持ちです。文政五年(1808年)の年号が見えます。右は幢幡をお持ちです。年号は読めません。

なお、仏様の六角の本体と台座が異なる種類の石でできています。さらに、彫られているお戒名のお命日がかなり古いです。200年以上前もあります。このため明治30年が六地蔵塔の仏様部分の建立の年代であるとは、断言できないと思います。明治30年は再建や移設された時の可能性があります。二つ目の不思議です

六地蔵様が表す六道とは、行いによって輪廻転生する六種類の世界に行くことです。墓参のおりにお線香を必ずお供えになるお檀家様がかなりいます。しかし、私は六道思想を説明しません。このため、ご自分で勉強されたお檀家と思います。

以上で墓地の外の石仏様は、「福性寺の歴史第8版」や「本ホームページの記事」のなかで、全て説明が終わったと思います。この記事は推敲して「福性寺の歴史第9版」に掲載予定です。

令和元年2019年10月22日真言とは何ですか?地蔵尊真言は何ですか?メールで頂いた質問です https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4560

令和2年2020年1月15日「仏様が出てきました!」 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5170

平成31年2019年2月3日江戸六地蔵様のお寺で法類の先師供養法要https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2595

平成30年2018年9月27日梶原銀座商店街による お地蔵様のご供養 10月3日・・・ https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1834

 


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