福性寺にも六地蔵様はあります。福性寺の六地蔵様は、六角柱の各側面に六体のお地蔵様が彫られている、いわゆる六地蔵塔です。六地蔵様は寺の山門近くにそれぞれ独立して、六基(体)の石塔として建立されていることが多いです。福性寺の六地蔵様は六地蔵塔ですから、面積をとらないコンパクト版です。目立ちません。現状では高さが2m弱、80㎝弱四方の台座があります。
この六地蔵塔にはちょっとした不思議が四つあります。大したことないですけど。
片側の屋根石が大きく損傷しています。関東大震災の時に落下したのでしょうか。もともとは、公道上にありました(「福性寺の歴史第8版」80ページ)。その後、門前に移り(「福性寺の歴史第8版」92ページ)、現在は山門の中に安置されています。
台座には、明治三十年(1897年)年三月とあります。台座の片面には「飛鳥山前町 久保田林造、大工 吉五郎」と書かれています。また、「詞(祠)堂金三円」もあります。反対面には「熊木氏」と彫られています。明治30年ごろのお檀家のなかに、久保田家や熊木家はありません。大工 吉五郎には姓が書かれていません。石屋さんですね。なんでお檀家ではない方々が?一つ目の不思議です。
福性寺の六地蔵様のお持ちになる物は、参道側から右回りで、天蓋(てんがい)、柄香炉、合掌、宝珠、宝珠・錫杖(しゃくじょう)、幢幡(とうばん)です。数珠、経巻、梵篋(ぼんきょう、木の葉に書かれた経)を持つお地蔵様はありません。与願印、施無畏印のお地蔵様もありません。六地蔵様の持ち物は、時代と地方により、かなり異動があるようです。しかし、いずれも端正なお顔です。
天和(1681年~)、天明(1781年~)、文政(1818年~)、天保(1830年~)時代などが命日のお戒名がお地蔵様のかたわらに彫られています。しかし、風化により一部しか読むことができません。
写真に見える左の地蔵菩薩は天蓋をお持ちです。文政五年(1808年)の年号が見えます。右は幢幡をお持ちです。年号は読めません。
なお、仏様の六角の本体と台座が異なる種類の石でできています。さらに、彫られているお戒名のお命日がかなり古いです。200年以上前もあります。このため明治30年が六地蔵塔の仏様部分の建立の年代であるとは、断言できないと思います。明治30年は再建や移設された時の可能性があります。二つ目の不思議です。
六地蔵様が表す六道とは、行いによって輪廻転生する六種類の世界に行くことです。墓参のおりにお線香を必ずお供えになるお檀家様がかなりいます。しかし、私は六道思想を説明しません。このため、ご自分で勉強されたお檀家と思います。
以上で墓地の外の石仏様は、「福性寺の歴史第8版」や「本ホームページの記事」のなかで、全て説明が終わったと思います。この記事は推敲して「福性寺の歴史第9版」に掲載予定です。
令和元年2019年10月22日真言とは何ですか?地蔵尊真言は何ですか?メールで頂いた質問です https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4560
令和2年2020年1月15日「仏様が出てきました!」 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5170
平成31年2019年2月3日江戸六地蔵様のお寺で法類の先師供養法要https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2595
平成30年2018年9月27日梶原銀座商店街による お地蔵様のご供養 10月3日・・・ https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1834