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2020年1月15日

「仏様が出てきました!」地蔵様と観音様

今回の里道沿いの40mの塀の建て替え中に、「住職さん!仏様が出てきました!」と工事の職人様から声をかけられました。

「エェー!土葬のお骨ですか?」この時は本当にびっくりしました。顔!真っ青、目は点。にはなりませんけど。

お檀家のお家の建て替え(ビルにするために地面を深く掘りました)の時に、たくさんの座棺に入った土葬の仏様が出てきたことがありました。この時、「土葬の仏様が・・・」とお檀家のお顔は真っ青でしたね。

しかし、お骨ではなくて、石塔2基でした(写真)。明治維新まで墓地であったことがない場所で、昭和までは水路でした。

観音様とお地蔵様のようです。舟形の石塔の仏様の周囲に以下の字が書かれていました。読んでみました。

1.道誉信士灵(灵=霊)位 享保十三年(1723年)〇月十四日

2.静華信士灵位 宝暦二年(1752年)〇月廿四日

(2霊のお戒名は似た意味の字に変えました=石塔にある字ではありません)

ここで住職が、即!思うのは「過去帳にもお戒名があるのかしら?!」ですね。そこで、江戸時代の過去帳を見てみました。

ありましたね!お戒名はもちろんですが、お命日も正確でした。その正確さにちょっとびっくりしました。

発掘された仏様 発掘された石塔 お経を読みましてから写真を撮りました お地蔵さま(オンカカカビ・・・)と観音さま(オンアアロリキャ・・・)のご真言を唱えました

発掘された石塔 お経を読んでから写真を撮りました お地蔵さま(オンカカカビ・・・)と観音さま(オンアロリキャ・・・)のご真言を唱えました 面長と丸顔ですね

過去帳には、1の仏様には俗名の記載がなく施主名がありました。8代将軍吉宗の時代です。享保の改革なんてありましたね。目安箱の設置とか。横道にそれますが、大学の受験科目の社会科では、日本史を選択したことを思い出しました。理科系人間でも歴史大好きです=関係ない話題ですね。ごめんなさい。

2の仏様については、當村(梶原堀之内村)出身と俗名までありました。9代将軍家重の時代です。NHKの大河ドラマ「八代将軍吉宗」では、お話をすることが不自由で、中村梅雀さんが演じていました。

梶原堀之内村では、江戸時代から明治~大正時代まで、つまり、荒川放水路(現在の荒川)が完成するまでは、何度も大きな水害がありました(下記の過去記事)。このため、これらの石塔は流されてしまったのでしょう。

今回の二つの石塔には、それぞれお戒名が一つづつです。一霊一石塔です。現代の「カロート(お墓の納骨スペース)に納骨し墓碑にお戒名を書き込むだけ」よりも、ご遺族の心がこもっているような気がします。

石塔の仏様のお顔は、故人に似ているように作るのでしょうか?「ウチの石仏様は死んだお祖母さんに似ているね!」「丸顔がお祖父さんそっくりだね!」とかの会話があったかもしれませんね。なにしろ、石仏様のお顔はそれぞれ特徴があり、本当に違っています。皆様も石仏様に手を合わせる前に、お顔をよく視て下さい。

なお、過去帳の閲覧は住職を除いて、どなたもお断りしています。どのお寺も同様です。福性寺の過去帳には「差別戒名」はありません

令和元年・2019年10月17日「洪水 岩淵水門 王子ポンプ所とみやぎ水再生センター」

https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4538

 

 

 

 


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