渡辺京二氏が12月25日に亡くなりました。昨日の新聞報道で知りました。
幕末や明治・大正時代では、いかに盂蘭盆会が重要な行事であったかを説明する時、渡辺京二氏の「逝きし世の面影」(愛読書です)を引用しました。 実はもっと書きたいことがありました。
渡辺氏がご自身の雑誌に、石牟礼道子氏の「苦海浄土」を掲載しました。あまりにも有名ですが、これではありません。
お寺の逆宣伝になるかな!と思い、今まで書いてきませんでした。ごめんなさい。
漠然と、幕末や明治・大正時代は、僧侶が現在よりも信頼を得ていたり、お檀家・ご信徒様が、仏事に熱心であったと考えていませんか?
実は、そうでもないということです。特に、キリスト教文化を背景とする西洋人には、そのように見えたようです。
西洋人による観察がおもしろいです。「逝きし世の面影」から引用します。
諸宗教宗派内に寛容が成り立っていた。例えば、外国語習得の目的のためには、キリスト教諸派と関係をもっても、支持しないけれども推薦もしないなど。勉強のためだけ!
具体例はあげませんが日本人にとって「宗教は・・・生活に入り込んでおらず、上層の教育ある階級は・・・懐疑的であり冷淡である(ラザフォード・オールコック)」「私の知る限り、日本人は最も非宗教的な国民だ。巡礼はピクニックだし、宗教的祭礼は市である(イザベラ・バード)」(笑)思い当たることが多々ありますよね!とってもいいです。「寺参りをするのは下層階級と女性・・・ばかり」これは現代と違っています。当時、武士階級は寺にあまり来なかったらしいです。
しかし、渡辺氏はもう少し深読みしてくれました。
引用は省きますが、渡辺氏は「武士階級は単に形骸化した既成宗教を軽蔑していただけだろう」心しなくては。しかし、私はこの文章のお陰で気分が明るくなったことを覚えています。寺の後継者としてです。
またオールコックによる日本の墓地の美しさについて「日本人の宗教の中ではもっとも注目に値し・・・」さらに渡辺氏は外国人の文章を引用した後「墓地は・・・洗練を見せる」「・・・墓地の美しさは多くの訪問者の嘆賞の的となっている」とも書いています。
日本人の亡き父母、先祖、死者に対する温かい配慮、敬意ですね。亡くなった家族への深い思いやりです。
さらに、当時の農村・田畑は本当に美しかったようです。現代でもですけれど。
左派でもなく右派でもなく、色眼鏡で日本を見ることのない素晴らしい観察眼をお持ちでした。仏教的に見ると正見・正思惟・正精進の人と思います。
思想史家、近代歴史家、評論家などと各新聞は書いていますが、記者さんは定義できないのであろうと思います。
92歳でした。
平成30年2018年7月2日 新盆(にいぼん)フルート演奏と法要の午後武士の盂蘭盆会https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1470
令和4年2022年7月4日新盆供養法要 「盆と正月が一緒に来たような」 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/12994