北区の最近のシンボル「北とぴあ」からの隅田川花火大会です。
歴史的にみると、いや今でも飛鳥山が北区のシンボルだと思いますけど。
「両国川開き・隅田川の花火」の歴史にはいろいろな伝承があるみたいです。
以前から聞いていた、徳川吉宗の時代に始まったとか、その時代の川施餓鬼がオリジンだとか。
令和5年(第46回)隅田川花火大会実施計画概要(抜粋)には、以下が書かれています。幕府(8代将軍吉宗)が催した水神祭に続き享保18年(1733)に両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが「両国の川開き」の由来とされています。
いろいろ反論もあるようです。
庶民史の範疇と思いますが、一次的な歴史的資料を読み切っているのでしょうか?
なかなか庶民史に関する資料はないようです。多分資料がないのでしょう。
「堀船郷土史」(昭和27年)とその平成増補版(平成28年)は、庶民史として価値があると北区の歴史家から聞いたことがあります。
令和3年2022年12月16日隅田川の観光船? https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/15337