5月11日は母の日でした。「母の日墓参」の皆様がおいでになりました。
前回記事でお知らせしたように、5月10日(土)のご葬儀の故人(〇野〇子様)について書きます。
お戒名の意味は「清らかな光を家庭にあたえ、暗い所なく、釈尊の教えからみて心身ともに美しく、釈尊の教えを理解し正しい道にあった仏教者」です。
故人は昭和の始めに生れ東北地方で育ちました。
太平洋戦争の激動の時代を耐えて、戦後の混乱の時代、その後の繁栄の時代、平成、令和の平和な時代に人生を送りました。
特筆するべきは、ご夫君様と共同して、堅実な家庭を築きました。しかし、ご夫君は早逝されました(55年前、以後独身)。その後、小学生と3歳の男子をはげまし、教育し育て上げました。誠に子供思いの立派な母親でした(喪主様いわく)。また、ご夫君の3回忌にお墓を新たに建立しました。
ご夫君の死後、市の外郭団体に職をえて熱心に働き幼い子供の養育にあたりました。70歳近くまで働きました。
一方、趣味と実益を兼ねて、洋裁を学び、また他者に教授しました。
晩年には,短歌・和歌と写真撮影を趣味としました。つつましい喜びであったようです。
5年前、歩くことができるころまでは、両彼岸・お盆・お正月前後の墓参を欠かすことがありませんでした。特に施餓鬼会は数年前まで皆勤でした。檀家様のお手本でした。
以上の茶色文字部分は葬儀・告別式の中の風誦文(ふじゅもん・ふうじゅもん)の中で形は違いますが読みました。
さらに思い出すのは、晩年の墓参では、脚が不自由になり、ようやく福性寺に着いたという感じでした。その施餓鬼会のおりに、本堂に入る前に「ご本尊様にお参りするので」とお手洗いで簡単にですが髪をなおしていました。
晩年には「(私のあと)子供がちゃんとお墓参りするか心配でね」と数回聞きました。お母様が施設に入ったあと、お子様方は年4回(両彼岸、盂蘭盆会、元旦前後)の墓参においでになっています。加えて施餓鬼会にもご出席頂きました。心配はないようです。
大変ご立派な人生であったと改めて尊敬の念をいだきました。
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