副住職が山形県鶴岡市での医学講演のために出張したようです。
朝、出羽桜(1892年創業)の大吟醸酒が「内仏様(=住職の家庭の仏壇)」にお供えしてありました。
お土産です。ビンには山形県鶴岡市と書かれています。
鶴岡市?すぐに思いだすのは、文政4年1821年遷化の福性寺住職であった「明範師」です。鶴岡市出身です。
記事を書いたことがあります。
令和元年2019年7月23日来歴の書かれたお墓 二百年前の住職と鶴岡市 川上記?https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3926
天保2年1831年に、この方の師匠、木食賢明師は、眞龍寺跡梶原塚脇の隅田川の中から宝篋印塔や光明真言塔を引き上げ再建しました。
その前年1830年には、賢明師と梶原塚再建の世話人徳嶋屋半助が山形県東置賜郡高畠町の貞泉寺に子育地蔵尊を寄進しています。お二人は庄内藩(鶴岡市)に関係があるのでしょうか?
酒田は北前船の大きな港でしたから、江戸との人のつながりもあったようです。
さらに木食賢明師や明範師についてご存知の方はご教示ください。
「福性寺の歴史」のパワーポイントシリーズでは、明範師については以下を使用しています。
今朝のハスの花を追加します。2輪咲いていました。