最初に、2・26事件クーデター事件について書きますが、福性寺住職はあらゆる暴力に反対です。私は決してクーデターに賛成しません。大反対です。
石破茂首相の「戦後80年所感」 戦後80年、歴史認識は「引き継ぐ」 石破茂首相の所感全文:朝日新聞 を読み、以下に感想を書きました。
令和7年2025年11月2日個人に責任はない?ttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/31576

駐車場の陽光桜の紅葉です 空の近くは赤く地面の近くは緑と黄色です 春と秋2回美しくなります 電柱と空にある電線が美しくないです これでも申し入れをして「美しくなった(笑)」後(2回目)の工事の後の風景です
もう一つ書かせて下さい。茶色部分は「戦後80年所感」からの引用です。
「大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者や青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。5・15事件(1932年昭和7年)や2・26事件(昭和11年1936年)を含むこれらの事件が、その後、議会や政府関係者を含む文民が軍の政策や予算について自由に議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません」とありました。
2・26事件は日本陸軍の「青年将校」らが起こしたクーデター事件です。たくさんの政治家が暗殺されました。
背景は、昭和4年1929年に米国で起き世界中を巻き込んでいった世界恐慌の影響が日本にもおよび、昭和5年から日本経済は危機的な状況となりました。どの程度、政治が機能したのでしょうか。
もちろん私は政治家や歴史家ではありません。しかし、伝聞により、当時の社会について知っていることがあります。時々しか引用されない「農村の深刻な窮状」について「国民的な怒り」があったことを考えるべきであると思います。
学校に行くことができない子供がどこにもいました。閉校になった学校もあります。東京近郊でも、千葉県でも、貧困のために学校に行くことのできない子供がいました。
さらに、東北の農村では「娘の身売り」があったとよく聞きます。その規模の記述はないことが普通です。しかし、多くの男性も女性も、自分の志や夢を無にしなくてはなりませんでした。
ところで、皆様は身売りがどれほどあったか「実数」をご存知でしょうか?石破茂元首相は「実数」を知らないのではないでしょうか。ここに調査研究があります。茶色部分は引用です。
安中進氏(早稲田大学准教授)WINPEC Working Paper Series No. J1702 10月 2017(早稲田大学現代政治経済研究所刊)
「警視庁統計書」を利用し、出身道府県別に東京稼業娼妓数のデータを集めることで、「娘の身売り」を数量的に推測し、その要因と変遷を分析しています。この論文の表1には、青森県昭和6年1931年641人、1932年984人、1934年1255人、1935年289人。秋田県1933年524年、1934年1314人。岩手県1933年402人、1934年329人。山形県 昭和7年1932年362人、1933年293人、1934年428人。この大きな数字と規模をみて、大きな怒りを持たない人はいないでしょう。
皆様が容易に読むことができる「ウィキペディア」では「(岩手放送)岩手百科事典 p.194 岩手県において身売り的出稼ぎまたは身売り的嫁入り・・・は昭和5年1930年6月末397人から1934年7月末1829人と激増した」とあります。
青森県、秋田県、岩手県、山形県の「各県」から「毎年」おおよそ「1000人」の身売りがあったとしています。この他の県でもありましたがデータが乏しいです。
人文科学的研究があり、引用があります。
科学研究補助金研究成果報告書 平成21年5月15日現在 波田野慶子氏課題番号18710225 大阪朝日新聞(昭和6年1931年10月31日)の記事を引用しています。「・・・この一、二年間に娼妓に売られた年ごろの娘が急激に増加し、わずか九万四千の人口を持つ(山形県)最上郡だけで現在二千余人の娼妓を各地に送り出し、ある村の如きは嫁入り盛りの乙女の姿が村から消え去った・・・」
この「実数」をみて、自らとは直接関係がなくても、身内の「娘の身売り」がなくても、怒らない日本人はいないと思います。また、戦前の農村の共同性から村の中のできごとは、村全体の家庭=身内のできごとでした。封建時代の「五人組」制は、維新の後も長く残っていました=足立区にあったことを知っています。
これらの「娘の身売り」の「実数」を見て、当時の政治と政治家、財閥への不信を覚えない日本人はいないでしょう。
また、財閥と政治家の間の大きな疑獄事件・汚職事件が多数明らかとなっています。東京の地方議会でも、たくさんの汚職事件がありました。
これらの「娘の身売り」や疑獄事件・汚職事件は、5・5事件や2・26事件よりも、よほど前からです。国民から信頼を失っていた政治家では、国民皆兵であった陸・海軍を抑えることはできなかったと思います。
隊付きの下級の青年将校や東北の農村出身の兵士が「天の怒りか地の声か」と身を震わせるほどの怒り極まった気持ちを持ったことは、理解したいと思います。
現在の政治家の皆様には、深い教養と知識を背景として、勇気をもって政治に臨んでほしいです。平和と豊かであり穏健な社会を維持してほしいと考えています。
やはり、何ごとにおいても、実数を知ることは大切と考えています。「ある・ない」「多い・少ない」の定性的なお話より、定量的なお話を心がけています。
今回は、お寺のHPの記事としては適切ではないかな!と思います。ごめんなさい。
「戦後80年所感」をよみ、三島由紀夫の「憂国」のファンとしては書きたかったのです。


