10月12日からの3連休がありました。午後から時間ができましたので、さいたま市岩槻区の慈恩寺様(http://www.jionji.com/)と玄奘三蔵塔を参拝してきました。
福性寺から1時間10 分です。東北道の岩槻インターまでは医師になった翌年から15年間通いました。なつかしい道です。
玄奘三蔵塔に通うためではなくて(ごめんなさい)、埼玉県立がんセンター研究所に通うためです。
今回、3連休にもかかわらず、車の流れは問題なかったです。
最初に、慈恩寺様に参拝しました。「坂東三十三観音」の第12番札所です。玄奘三蔵翻訳の般若心経を読みました。いくつかお願いすることがありました。
祭日にもかかわらず、通常よりも参拝者が少ない感じです。コロナ前に回復していません。
次に、近くの玄奘三蔵塔に参拝しました。参拝者は、ほとんどいませんでした。ここでも般若心経を読みました。
塔の右に梵語(サンスクリット語)の般若心経のマニ車があります。一度回転しました。和訳がありました。「ギャーテー句秘藏真言分」の意味を確認しました。
玄奘三蔵のご遺骨は、三蔵の亡くなった(664年)後、長安の郊外にある興教寺に建てられた慈恩院塔に安置されました。
しかし、この塔は黄巣の乱(唐末、874年)の時に破壊され、遺骨は持ち去られました。
以下は何度か書きました。遠く下って、南京戦(昭和12年1937年)のあと、占領中の昭和17年(1942年)に南京市の雨花台で石棺の中にある頭頂骨が発見されました。
翌年、汪兆銘政権が塔を建てています。いろいろ紆余曲折がありましたが、現在は南京市の玄奘寺となっているようです。
玄奘三蔵の遺骨の一部が戦後岩槻市の慈恩寺に安置されることとなりました。
昭和28年(1953年)に十三重の花崗岩製の「玄奘塔」が落慶しています。写真の塔です。
昭和30年(1955年)に日台友好のため台湾に分骨され、現在は日月潭の玄奘寺にもにも奉安されています。参拝しました。
昭和56年(1981年)には、玄奘三蔵のご宗旨である法相宗の奈良市の薬師寺にも分骨され、現在は境内の玄奘三蔵院に奉安されています。何度か参拝しました。
令和4年2022年5月20日大宮市岩槻区の慈恩寺と玄奘三蔵霊骨塔https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/12346
令和元年 2019年5月6日 住職の休日 玄奘・・・祭 老人ホーム訪問 そして...https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3369
孫悟空の稚児衣装。平成29年2017年5月6日 玄奘祭・・・ https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/482
本日を含めて、週末は年回忌法要を執式しています。今日もお檀家と一緒に般若心経を読みます。