史跡「梶原塚」の石塔は、現在、福性寺にあります。明治37年1904年移設。江戸時代には梶原堀之内村の史跡として知られていました。
このHPの「電子歴史資料室」の「福性寺年表」の中の「梶原塚関連」の項目(青文字)をご覧ください。
国立国会図書館の蔵書の中に「懐中誌」がありました。「嘉永六写」とあります。嘉永六年1853年の写本です。
80コマに分けられ収録され、HPにアップされています。18番目が「梶原塚」に関するものでした。
なお、「懐中誌」という名称は、特定の単一書物を指す固有のタイトル(固有名詞)ではなく、「懐(ふところ)やポケットに入れて持ち運べる小型の冊子・刊行物・メモ帳」全般を指す一般名詞(普通名詞)であるとする人がいます。

懐中誌「梶原塚」松の木が2本に見えますが1本です 「埋木花」の絵と似ています 写しですね 図中の文章も「埋木花」の絵の中の文章と酷似しています 「江戸名所図会」の中の絵も見てください 梶原塚から移設した宝篋印塔 光明真言塔などを見るためにご来寺ください
図中の文章「豊嶋郡梶原村 豊嶋郡 梶原塚 荒川の岸 川下真崎ハシバ抔ノ方隅田川也 此次村二堀内村アリ センリュウ寺ノ跡 水上豊嶋村ノ方也」真崎ハシバ:真崎の渡し、橋場の渡し、現在の白髭橋付近。センリュウ寺:眞龍寺。 「抔」は読みは主に音読み「ホウ」、訓読み「すくう」「など」などらしい。ラントウ:小名。
「ハシバ抔ノ方隅田川也 荒川の岸比次村に座内村アリ同ラントウ水上豊嶋村ノ方也 荒川の端に小笹生し中一本松あり古梶原氏此辺を領せしゆへ今に梶原村と呼か里諺此所センリウ寺と云寺ありし処マス同所ラントウと呼小名あり」
私が読んだ結果が以下です。この記事の全般の中に間違いが多々あると思います。こっそり「ナイショ」(笑)で教えてください。
『荒川の端(川ぶち)に小さな笹が生い茂っており、その中に一本の松がある。昔、梶原氏(梶原景時:誤り)がこのあたりを領地として納めていたため、今でも「梶原村」と呼ぶのだと里の言い伝え(俗説)にある。この場所には「センリウ寺」という寺があった場所である。同じ場所に「ラントウ」と呼ばれる小名(字・小さな地域の地名)がある』
カッコ内は私が追加しました。
ラントウ(卵塔)僧侶などの墓石(卵型の墓塔)。地誌では「古い墓所」「無縁塚」あるいはその場所の小名(地名)として使われるらしい。
小名(ちな / こな)正式な村名ではなく、村の中のさらに細かい小地域につけられた愛称や通称(小さな字名、地名)。
地域の歴史ばかり書いていると、閲覧して頂けなくなってしまいそうですか?次回はもう少し楽しい話題にします。
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