真言宗豊山派白王山中台院福性寺真言宗豊山派白王山中台院福性寺
  • おばあさん、おじいさんとも歩きたい(陳情中)
  • 仏教徒海外奨学基金

最近の投稿

カテゴリ

過去の投稿

2026年10月11日

憲譽師(天保九年1838寂)

このところ、法類の先師の参拝と調査をしています。その記録を作っています。

柏崎市の明蔵寺様の詮譽師から六世代後の上東野照良師(父の叔父)の世代に至る歴史をまとめています。丁度20人の僧侶の関係と個人史を調べて書いています。

柏崎市の明蔵寺様のお話はすでに記事にしました。

令和8年2026年8月5日「誉」法類の源泉を訪ねてhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/35974

令和8年2026年8月7日高齢者!もはや外国人? https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/35993

宝幢寺様本堂 とても清潔です 住職様にご案内頂きました

 

足立区江北の恵明寺様には、多くの先師が眠っています。いずれ書きます。

10月5日午後、法類における関東地方の初代の憲譽師(天保九年1838寂)の墓参をしました。憲譽師は総本山長谷寺の前頬(重職)でした。

憲譽師が住職となった千葉市の妙見寺は、長谷寺の高位の僧侶が住職に就任する寺(移転寺)でした。しかし、廃仏毀釈により神社となった現在の「千葉神社・妙見神宮」の近くの子院である宝幢院様内の墓所に参拝しました。宝幢院の住職様には、ご案内をいただきありがとうございました。

お墓は無縫塔(卵塔)でした。持参した生花をお供えし、理趣経百字偈を唱えました。

宝幢院内憲譽師の墓石 五輪塔ではなくて卵塔です 妙見寺から移されたとのことでした

台の石に文章(墓碑銘・銘文)がありました。以下です。「妙見寺第三十八世憲譽法印 越後茢(草冠に列、刈)羽郡 新道村 飯塚氏産 世壽六十有五 遺弟頼譽誌」頼譽師は初めて巣鴨の眞性寺と福性寺の本寺であった足立区江北の恵明寺の住職となった方です。

新道村(しんどうむら)は、現在の新潟県柏崎市新道(しんどう)およびその周辺地域にあたります。

最初に、憲譽師と現在の銘文中の「飯塚家」との関係は明確ではありません。柏崎市新道にある「飯塚邸」は、江戸時代から続く旧家・大地主(豪農・武家)の邸宅です。柏崎市の指定史跡です。平成13年2001年に市に寄贈され庭園「秋幸苑・行在所」となっています。歴史的な名家として「飯塚家」はよく知られています。

当時の有力な農家や武家出身の子弟が、総・大本山クラスの格式高い寺院に出家し、修学を経て高位の職(重職)に就くことは珍しくありませんでした。

憲譽師の石塔台石の頼譽師(眞性寺・恵明寺住職)による銘文(造立銘)

新道の「飯塚家」は、現在でも地域に貢献した歴史ある名家として知られています。幕末の時代に、総本山で前頬に就いた高僧を輩出しているとすれば、憲譽師の努力はもちろんですが、当時の飯塚家の家格や財力、あるいは地域における影響力の大きさが背景ににあったと考えることができます。

とても楽しいです。

「歴史のロマン」を感じています。ロマン?意味は「心が躍る感動」でしょうか?

AIを使わずに書きました。

令和7年2025年4月27日 鳥居愼譽猊下 倍増法楽https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/28580

平成30年2018年4月11日法類?の葬儀https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1156

平成28年2016年11月26日 平成28年11月23日 室戸明星来影寺参拝  24日 断食護摩結願法要と法類先師供養に参加https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/280


キーワード検索
カテゴリ
過去の投稿

ぜひ、福性寺のホームページをお気に入りに追加下さい。
最新情報を更新しておりますので、ご覧下さい。