昨日(平成30年2018年12月2日・日曜日)の午後は、北区滝野川の観音橋近くにある谷津大観音様のお寺(http://www.jutokuji.jp/)の先代住職様の第13回忌法要に出席しました。法類寺院(平成30年4月11日の記事を参照)の住職として、式衆の一人として、法要に参加しました。
式衆(しきしゅ、お寺では「しきしゅう」というよりは「しきしゅ」ということが多いです)とは、法要の中で声明(しょうみょう)などを唱え、また楽器を扱う僧侶を言います。法要とは、釈尊(お釈迦様・ブッダ)のお考えの要点を説明すること=以前に説明しましたね。普通は年回忌の追善供養の会です。
写真は谷津大観音様です。美しいです。このお寺の先代住職は、12年まえに亡くなりました。この方は日本の最高学府と言われる大学で学び大学院を卒業しています。
また、今回、法要の後の清宴で、ご友人からお話がありました。故人の学位論文の主題は「仏説父母恩重経」(今年6月17日の記事を参照)であることを知りました。さらに、インドのタゴール国際大学に留学し、赤いガウンをまとい、この大学からの学位記をお持ちの写真も見てきました。
この方が、生前、谷津大観音様の建立の計画を立てました。発願ですね。しかし、完成を待たずに亡くなりました。豪快な方で、私の想像できないことばかりのこの方の人生でした。この方の人生を表しているような大きな仏様です。
法要中に、平成3年(1991年)に「仏教徒海外奨学基金」の理事長に就任して頂くようにお願いに、お寺にあがったことを思い出しました。
留学先との関係で、インド・チベット・スリランカにも、ご友人が多く、基金の受け入れ先をよくご存じであったためです。配布先は全て新井慧誉師が決めました。
私が「仏教徒海外奨学基金」の設立を、清光寺住職新井豊誉師と西福寺住職小松原俊誉師に提案して賛同して頂きました。配布先は新井慧誉師に決めて頂き理事長に就任頂きました。
また、新井慧誉師がほかのお寺を勧誘しました。一人では何もできないですね。皆様の知恵の集まった「仏教徒海外奨学基金」です。
故人はインドを「母国」としていました。
「南無谷津大観音菩薩」