私の希望により午後4時開始です。座布団ではなくてイスが用意されていました。家族だけの通夜です。出席者は10人ほど。
院代さんは車で待つ予定でしたが、駐車場が見つかり急きょ「式衆」となりました。ジーンズで読経(笑)とてもいいです。木魚をお願いしました。
葬儀・告別式では以下の文章の入った「諷誦文(ふじゅもん)」を読みました。
・・・故人は昭和九年に生をうけ、太平洋戦争の激動の時代を耐えて、戦後の混乱の時代、昭和の繁栄の時代、平成、令和の平和な時代に人生をおくりました。その人生は、ご夫君と共同して堅実な家庭を築き、〇人の子供を誇れる社会人としました。誠に子供思いの母親でした。さらには、〇人の孫と二人のひ孫の成長を楽しみにしていました。若き日から和裁、つまり和服裁縫の熟達した技術を持ち、さらには三十年にわたり「〇〇株式会社」において仕事にはげみました。しかしながら、ご家庭の中を切り盛りすることにも、喜びを見出し、優れたハウスキーパーでした。また、時には、ユリやキクなどの栽培を楽しみ、家の中では、紙の花、菊やバラなどを作り、手芸を楽しんでいました・・・
実は常に家庭にあった専業主婦さんと思っていました。施餓鬼会や読経会に何度もご出席頂いたお母様です。しかし。何も知らないことを大いに反省をしました。理解力不足?観察力不足?でしょうか。
どうも住職は昔人間(父は明治人・母は大正人で、戦後直ぐの人間です:戦後人)ですから、ご高齢の女性をみると、すぐに専業主婦とショートするようです。なお、大学生時代の同級生は6%(多分)が女性でした。
葬家では、故人と旦那様とお子様が力をあわせてご自宅を作りました。まだまだ新しいお家から出棺しました。つくづく故人は立派と思いました。お子様の一人が「自宅から出棺できてよかった」と何げなくお話になっていました。
令和元年2019年10月7日60年間!の独身 住職は真似できないですhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4447
平成30年2018年8月28日「50年以上の独身 諷誦文(仏教的な追悼文)とは?」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1709