江戸時代からのお檀家が墓所を三等分して、3軒のお檀家のお墓となっています。分割したのは昭和55年1980年です。それぞれ3軒のお檀家が墓石を更新しました。
ちょっと前ですが、そのうちの1軒で葬儀があり、葬儀後に墓参がありました。
ご先祖様は江戸時代からで、職人さんであったと伝わっていますとお話しました。遠い昔にご一族から聞きました。
故人のお孫様「エー!知らなかった!江戸時代からなんですか?」
故人のおつれあい様「昔は小さなお地蔵様がたくさんあったんだよ」ご高齢になっても記憶は確かです。江戸時代や明治時代の石仏様です。娘様「知らなかった!」住職もエー!です。
お子様やお孫様は、家やお墓の歴史を知らないです。
亡くなるお子様が多かった時代、江戸時代からのお檀家ですから、3軒の墓域には百人とかの仏様が地下においででしょう、DNAつながりの、とお話しました。皆様が異口同音に「エー!そうですか!」でした。
お墓の由来=分割したことについて40年ほど前の事柄をご家族では、お一人しか知らないとは!
「降る雪や明治は遠くなりにけり(昭和の初めに中村草田男氏)」は、子供時代や明治100年(昭和43年1968年)の時によく聞きました。明治と昭和の初めでは、すでに習慣・文化・服装に大きな差があったようです。
現在の情報技術=ITの発達/進歩は、昭和と全く異なります。AIまであります。時々聞きますね「昭和は遠くなりにけり」と。明治が遠くなった時のような和服から洋服へなどの劇的な服装の変化はありませんが。
お寺だけがかろうじてお檀家の昭和の歴史を知っているようになったのでしょか。
平成28年2016年12月4日平成28年12月休息所(2番目)の新設工事https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/302
令和5年2023年12月5日昭和史をよく読みます https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/20728
令和5年2023年1月5日 六地蔵様はないんですか? 六地蔵塔となっています(六地蔵塔1)https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/15449