「福性寺の歴史第十版ご本尊大日如来様開眼四百年記念版」に追加した写真のひとつです。

盧溝橋事件(昭和12年1937年)~東アジア太平洋戦争(昭和16年1941年から昭和20年1945年)では多数の檀家様や檀家様の後継者が亡くなりました 後継者の戦死により家が途絶えた檀家様がいます ご家族提供
昭和14年(1939年)撮影の福性寺檀信徒総代様のご家庭の写真。前列中央に座っている軍服姿は現総代様のお父様です。お父様の左はお祖父様(当時、筆頭総代様)です。本堂建設委員会の初代の委員長です。お祖父様が抱っこしているのが現総代様。お父様の後ろはお母様。最後列の真ん中にお祖父様の奥様が写りお父様のご兄弟姉妹、おいとこ様が数名写っています
日中戦争(昭和12年1937年から)~東アジア・太平洋戦争・日米戦争(昭和16年1941年から昭和20年1945年)では、多数の檀家様や檀家様の後継者が亡くなりました。写真のお父様はそのお一人です。
戦死者のいるご家庭では、お墓は戦死者のご両親や姉妹様により守られてきましたが、結局、お墓の後継者を失ったことから家が途絶えたご家庭がありました。
以上までは写真の説明です。以下は写真の説明を超えて、外国人のために「檀家制度」の背景を「福性寺の歴史第十版」の中で説明しました。
シアトル高野山住職の今中太定師・ジェシカさん(大学教授)夫妻からご教授頂いた内容を含みます。
「日本では、子孫が記憶の中にある先祖や仏となった遠い昔の先祖を敬うため、何世代にもわたって、尊敬する先祖のお墓のある寺に愛着を持つ家族によって支えられています」
福性寺では最も古いお檀家は、ご自分が18代目であると話しています。1501 年建立のお墓(板碑)をお持ちの檀家様もいます。1658年に高野山の高野聖(ひじり)の集まったお寺:金蔵寺に先祖のご供養のために布施を納めているお檀家の先祖もいます。また、大部分の福性寺の檀家様、80?%、は50年以上前にお檀家になっています。
当然のことですが、先の戦争中の犠牲者のでたご家庭には、大きな損失でした。また寺院にとっても大きな損失となりました。檀家様の後継者がいなくなり、寺に愛着のある一つの世代がとぎれました。同様の運命が日本の多くの寺院に降りかかりました。
ところで、最近は「檀家制度」について、たくさんの意見や議論があります。
「寺の存続のためだけ」の議論がなされているような気がします。「寺が生き残るために、何をなすべきか・・・」です。「寺の生き残り」が目的になっては、どうかなと思っています。
人口の減少や交通機関が不便になるなどにより、檀家が減り、僧侶が減り、大きなお堂は維持できないと思います。
しかし「何世代にもわたって、仏様となった両親・先祖のお墓のある寺に愛着を持つご家族」がいることを忘れている議論もあるような気がします。
また、江戸時代からの檀家様、戦前からの檀家様、戦後や最近、入檀(檀家になる)した皆様、それぞれのお考えがあると思います。また、お寺を最近の霊園と同じように考えている皆様もおいでになります。それぞれの檀家様のご意見を尊重して、寺を運営しています。
外国人向けに、以上までと同様の内容の英文が「福性寺の歴史第十版」の写真説明にはあります。
第十版の表紙
令和7年2025年10月1日さすがデザイナーさんhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/31194
「福性寺の歴史第十版」は、檀家様信徒様は無料です。
第九版までと異なり、檀家様・信徒様以外の皆様には、大変申し訳ございませんが、送料を含めて千円を負担いただくことにしました。
宗教法人福性寺(真言宗を通じて皆様の安心に寄与する)が配布するものですが「印刷費と送料の実費」の一部の負担をお願いしています。。
令和7年2025年8月3日福性寺のはじまりhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/30364
令和7年2025年8月26日当たり前は当たり前でない「檀家様」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/30722
令和7年2025年8月28日 引き続き寺 かけがえのない存在https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/30764
令和7年2025年9月1日 堀船の道標 石仏・石塔 庚申塔は消失https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/30800


