7月の第1日曜日(今年は5日)は福性寺の新盆供養法要です。昭和64年1989年に始まりました。お棚経に出かけることのできない遠方の檀家様のご希望により始まりました。
本日、この1年間に「おとむらい」のあった檀家様が集まりました。事前に迎え火・送り火セット(ほうろくとこんばん提灯)を送りました。
式の次第は:
1.奠供・四智梵語(僧侶、サンスクリット語)
2.新盆供養法要表白(住職、日本語)
3.般若心経(参加者全員 唐語)と光明真言(参加者全員サンスクリット語)
4.追弔和讃(宮寺師、日本語)
5.仏教歌(特別ゲスト:渡邉優樹様独唱後全員斉唱 西洋音楽日本語)
6.精霊棚の説明と棚の撮影(檀家様)
7.仏讃歌お誓い(全員 西洋音楽日本語)住職は水施餓鬼供養
8. お焼香後、お供物(都電もなか)確認・散会。
ご出席の何人もの皆様からお礼を言われました。僧侶とは有り難い仕事です。
ご家族3人?でご出席の皆様から「ありがとうございます。(ここに出席している)母が泣いていました」とお聞きしました。
新盆ですから、檀家様を想って、まだまだ・・・つらいのでしょうか。
さて、以下、少し偉そうなこと(笑)を書きます。
家族や身内の死亡による悲しみ・喪失感を問題なく過ごすことができる場合もあります。宗教行事に参加しなくても、大丈夫と言う人です。これを心が強い・弱いと断定的に言うのは科学的ではないし、仏教的ではないと思います。
つまり、人は生まれた時から違います(生老病死の一つ「生苦」です)。例えば性別や親は自分で選んだものではないです。その後の人生も実に異なります。当然、ストレスに対する反応がそれぞれ違いますから、長い時間(定義では1年間、6か月と言う人もいます)精神的・肉体的な悲しみ、苦痛や不都合を解決できない人もいます。複雑性悲嘆:遷延性悲嘆症と言います。専門的な=精神腫瘍科などの受診(医療)が推奨されています。これについては機会をみてもう少し書きます。
私は、墓参や宗教行事(非日常)に参加することが、このような皆様にとって必要と考えています。「お墓付きの寺の住職」の立場や利害が有利になるためのポジショントークではない科学的な考えと思っています。
生成AIを使わずに書きました。
参考記事
令和8年2026年7月4日患者の遺族の会・遺族ケア外来 興教大師様https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/35398
令和8年2026年6月13日諸行無常と永代供養・安置?お墓の本質 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/35155
令和6年2024年5月25日「普通」のお葬式 グリーフケアhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/23146
令和8年2026年5月5日 「メメント・モリ」「グリーフケア」墓地に植栽とベンチが必要な理由https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/34500
平成31年2019年4月4日お経を聞くと喪失感による悲しみが癒やされるhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3053





