去年、お檀家のご親戚から、お母様のお葬儀の執式を依頼されました。お二人でご来寺頂きました。ご家庭のなかで「お戒名と読経をお願いするのであれば福性寺の住職しかいないよね」と合意があったそうです。率直に喜ばせて頂きました。
ご親戚の墓参の時に、ご家族がお墓の清掃中、故人は私と世間話をしていることが多かったからでしょうか。「母を最も知っている坊さんは住職さんです!」私はニコニコでしたね。
しかし、お住まいの近くの「お寺付属の霊園」が分譲中で、そこにお墓をとりたいとのことでした。私が葬儀を執式したために、近くのお寺の霊園に墓所を設けることが、障害になっては申し訳ありません。再三再四(さらに五回以上?)、この点についてご注意をしました。執式を断る方向ですね。
寺の会計担当者(あいかわらず家内です!)からは、「ご依頼があるのですから、積極的に引き受ける方向でお話をできないのかしら?!」と・・・「口ごたえ」はしませんね。
再度、ご家族の来訪があり、お住まいの近くは、お寺の中(付属)といっても霊園で「どなたでも、どの宗教でも墓地を設けることができる!檀家になる必要がない!」ので、大丈夫とのこと。確かに、最近はお寺の中に宗教自由の霊園がありますね。
お戒名は「常に智慧をめぐらし、舞踏・ダンスを好み飛天のごとく優雅であり、釈尊(お釈迦様・ブッダ)の教えから見て心身共に美しく、人のお手本となる素晴らしい人生をおくった大姉(高齢の女性)様」です。お通夜、葬儀とも私が執式しました。院代も読経(助法)をしました。
後日、ご家族はいくつかの霊園を見学して回りましたが、「ピンとこない」というのです。結局、福性寺のお檀家になりました。
楽しくておしゃれであったお母様向きのお墓が建立されました。墓石は薄オレンジ色です。明るい色です。帽子(笠石=火輪)をかぶっています。スマートです。立派です。立派なお墓とは、自然に合掌したくなるお墓です(「立派なお墓」の私の勝手な定義です)。
ご自宅は少し遠いです。しかし、お檀家は墓参と墓参の行き返り(帰り)がとても楽しいとのことです。
故人のご家族様に、福性寺に「ピンときて」頂いたのでしょうか?。でも、「ピンとこない」とは、何なんでしょうかね?「決め手に欠ける!決定打がない!」いや、違いますかね?「話すことや書くことでは説明できない心に響くもの!」でしょうか?ちょっと、密教的・真言宗的な感じですか?(笑)
また、機会をみて別の去年新しく入檀したご家庭を書きますね。