2017年12月9日

12月8日は成道会じょうどうえ)でした。釈尊(お釈迦様、ブッダ)が悟りを開かれたことをお祝いする日です。釈尊が35歳の時です。一方、涅槃会は2月15日に行われることが多いです。昨日の朝の読経時にも、「成道会の朝」であることを考えると、いろいろと思うことがありました。短く言いますと、自己のいたらないたくさんの点を思います。しかし、シャラの2本の木(沙羅双樹)の近傍に横たわる釈尊の目に見えるお身体はなくなりましたが、その教え(法)は、2500年後の今も生きていますね。

ところで、この日は、太平洋戦争・大東亜戦争の真珠湾攻撃の日でもあります。福性寺には、この戦争における堀船地区の戦病没者の慰霊碑があります。慰霊碑には107名ものお名前があります。私が子供のころには、元旦、春の彼岸、8月15日(終戦の日)、秋の彼岸、12月8日(開戦の日)には、お参りの方が必ずおいででした。最近では、お線香をお供えする方は少なくなりました。それでも墓参のおりに、必ずお生花とお線香をお供えするお檀家がおいでです(ご家族からお二人が戦死しています)。慰霊碑の仏様のご家庭の中には、お二人の戦死者がおいでのご家庭も少なからずあります。中には、父親とご長男が戦死したご家庭もあります。こちらのご長男は山西省で戦死しました。このご家庭の母親と娘さん(ご遺族は二人だけ)は、米軍の占領による軍人恩給停止の期間をどのように過ごしたのでしょうか(米国とは、つまらないことをする国です)。平成16年に娘さんが突然亡くなりました(86歳)。生前に永代供養を依頼されていました。お戒名は、「永慈妙清信女様」です。お戒名は駐車場の花壇の御影石の柱などでも見ることができます。とても、なつかしい方です。今は白宝殿(納骨堂)においでです。

12月8日の涅槃仏様

12月8日の涅槃仏様(本堂前)

大東亜戦争戦病没群霊慰霊碑(福性寺本堂前)

大東亜戦争戦病没群霊慰霊碑 (本堂前)


2017年12月4日

紅葉したアンズ

紅葉したアンズ

ハゼの木

ハゼの木

福性寺の境内には、モミジは少ないのですが、きれいに紅葉しています。桜の木やアンズの木が紅葉しています(写真上)。また、ハゼの木が白山神社側に数本あり、これらの紅葉は見事です(写真下)。このハゼの木は、盆栽を楽しんだあと庭に植えたものです。

12月2日と3日(土曜日・日曜日)には、一周忌(土曜日10時から)、四十九日忌(日曜日11時から)と三十三回忌の3家庭によるご法要がありました。合計で60人余りのお檀家とご親戚が集まりました。お集まりの皆様に、紅葉を見て頂きました。江戸時代の始めからのご先祖様を持つお檀家が2家庭と、100年近く前のご先祖様を持つお檀家でした。どちらも、福性寺の代々の大々パトロン!ですね。

ところで、紅葉を観て思い出すことがあります。紅・赤はお釈迦様の旗の色のひとつです。国際仏旗(各国共通してお寺に掲揚する旗)は、5色からなります。そのうちの紅・赤は「御仏の慈悲」を表します。また、真言宗では、赤は平等を表しています。紅葉の季節は、山全体や木々が、慈悲と平等にあふれています。つまり、紅葉した木々を観ることにより、人々にしみじみとした気持ちを感じさせ、楽しみを与え、苦しみを除いてくれます。これを抜苦与楽(ばっくよらく)という人もいます。

今日の福性寺の写真をご覧下さい。温かい服装で墓参においで下さい。

平成30年の元旦読経会は午前10時開始です。


2017年12月2日

「床下換気扇」を見せてほしいとのメールを頂きました(11月6日の記事参照)。完成後の現在は、直接、見ることができません(写真)。「床下換気扇」は、「縁の下の力持ち」のことわざのようです。見ることができませんし、あまり、音も聞こえません。本堂の外陣(げじん、畳のある部分・皆様のお座りになるスペース)の左端の床下にあります。床下の乾燥のために取り付けました。福性寺は墨田川(荒川)堤防が近く海抜も低いので、長雨の季節には、床下に換気装置が必要でした。

写真では、右に換気扇の本体があり、左に本堂の外とつながるダクトがあります。

ところで、聖徳太子が建立した四天王寺(大阪)には、舞楽「椽(えん)の下の舞」があるそうです。太子殿の前で行われています。

床下換気扇 左のダクト 右が換気扇

床下換気扇 左がダクト 右が換気扇本体

実は、「椽」とは床下や縁側(最近は見なくなりました)の下ではなくて、家のごく近くの軒の下、程度の感じです。この仏教的な舞は、仏典が日本に伝来したことを記念して始まったものらしいです。舞は、舞台の下で行われ公開ではなかったことから、つまり、目立たずに役立つことから、「縁の下の力持ち」ということわざができてきたようです。

有難いことに、福性寺はお檀家の皆様をはじめ、たくさんの「縁の下の力持ち」により支えられています。


2017年11月26日

仙台の老人ホームに入所しておりましたお檀家が亡くなりました。今まで、3回お見舞いに出かけています。残念なことに、おあいできないこともありました。私が住職になりました頃(昭和54年、1979年)、住職としての全ての仏事に不慣れな私を、何かとバックアップして頂いた有難いお檀家です。

11月20日(月曜日、お通夜)と21日(火曜日、葬儀告別式)でした。仙台駅前の仙台メトロポリタンホテルをとりました。住職と院代が執行しました。東京の仏事と異なることが多く、戸惑いました。しかし、釈尊(お釈迦様・ブッダ)の教えにないことは、一切不要であるとお話しました。

それでも、四華が祭壇にないなど、葬儀担当者が勉強不足ではないかと思いました。残念なことに、最近は四華を知らない葬儀社の社員に出あいます。四華(しか)を、四華花(しかばな)と呼ぶ人もいます。アルミ箔や和紙でできていることが多いです。

四華の一例です

四華(アルミ箔製)

四華とは、沙羅双樹を表しています。釈尊(お釈迦様・ブッダ)が、80歳の時に涅槃に入られる時、シャラの2本の木(沙羅双樹)の間に横たわりました。涅槃を迎えられると、沙羅双樹の花(クリーム色)など、釈尊を取り巻くものが白くなり、また枯れてしまいました。このため、私たちが死に臨んで、釈尊と同様な心境を得たいと心から願って、葬儀の祭壇におくものです。仏式の葬儀では必須のもの!です。お葬式の時に、四華の有無を確認して下さい。祭壇は不要です(本当です)が、四華は必要です。

 


2017年11月17日

秋が深まり寒くなって参りました。福性寺の木々も色を変えてきました。毎朝の庭のお掃除では、たくさんの落ち葉で、3-4袋の大型のごみの袋がいっぱいとなります。近くの神社のケヤキの木は、紅葉を終えて、落葉しています。落ち葉焚きをした子供時代を思い出します。この季節には、落ち葉焚きの時、焼き芋を楽しむために、サツマイモを買ってもらったものです。最近では、煙がでるために、落ち葉焚きはできません。写真上は福性寺駐車場にある桜の木の紅葉です。境内も落ち葉だらけです。それでも、参道の脇の小泉家墓所では、黄色のきれいな花(写真下)が咲いています。花屋さんに「ユリオプスデージー」と言う花の名前を聞きました。温かい服装で墓参においで下さい。

そろそろインフルエンザの流行が始まります。インフルエンザで寿命を縮めないようにしたいですね。外出後の手洗いが大事と言われています。洗顔もしましょう。高齢者(65歳以上)の皆様は、どうかワクチン接種を受けて下さい。ワクチンが不足していると言われていましたが、ワクチンが医療機関にかなり出回ってきました。何とか、釈尊(お釈迦様・ブッダ)の涅槃の年齢(80歳)までは、元気で長生きしたいですね。

冬に向かったこの季節には、お風呂で亡くなる方が多い時がありました。「福性寺健康長寿講演会」では、続けて2回この話題(入浴時に死亡)を取り上げたことがあります。死亡の原因は、入浴時の低血圧が原因らしいです。お風呂の暖房(電気による浴室の暖房装置は高価ではありません)と入浴前のお湯かけが大事であると専門家からお聴きしました。

どうか皆様には、ご健康に留意されまして、来年の春のお彼岸まで頑張って下さい。なお、元旦読経会は例年と同様に、元旦の10時からです。

今朝の福性寺 桜の葉が紅葉し落葉が始まっています

今朝の福性寺 山門脇の桜の葉が紅葉し落葉しています

中央参道左側墓所のお花

中央参道左側墓所のお花


2017年11月12日

11月11日 2時から第5回健康長寿講演会(福性寺主催)、3時10分から第6回堀船郷土史を語る会(歴史講演会、郷土史を語る会主催)が開かれました。50人以上の皆様にお集まり頂きました。誠に有難うございました。

実は、昭和55年(1980年)から、施餓鬼会(7月23日、最近では4月23日)に、健康講演を行ってきました。40年間に近くなりました。しかし、施餓鬼会は本堂の大きさ(収容人員)から、お檀家・ご信徒様のための行事になっています(現在よりも大きな本堂がほしいですね)。元来、福性寺はお檀家の少ない小さな寺です。最近特に、町会の皆様からも、健康に関する講演をお聞きになりたいとのご意見がありました。このため、施餓鬼会の健康講演とは別に秋に健康長寿講演会を開き、今回で5回目です。実際、秋の講演会は、お檀家よりも町会の皆様のご出席が圧倒的に多い(数倍)です。

健康長寿講演会と歴史講演会の休息の間に、大師讃歌・仏讃歌「おちかい」を歌いました。アップしましたので、お聴きください。仏讃歌を歌いなれているお檀家が少ないため、少し元気がないですか?

2017年11月11日おちかい動画

 


2017年11月9日

詳細は10月9日の記事をご覧下さい お檀家のご参加よりも、お檀家ではない皆様のご参加が多いです お気軽にご参加下さい 前半だけ、後半だけのご参加や、途中からのご参加や早退も構いません

平成29年11月11日(土曜日)会場:福性寺

午後2時から   第5回福性寺健康長寿講演会 福性寺主催

1.般若心経一巻 音読(3分)  2.健康長寿講(元気で長生き)講演会(質疑を含めて50分)演題「この物忘れは、認知症?それとも年のせい? ~認知症になっても自分らしく生きるための知恵と工夫~」 演者 扇澤 史子先生 所属:東京都健康長寿医療センター精神科 臨床心理士 博士(心理学)  3.仏讃歌「お誓い」(西洋音楽)斉唱(4分)

午後3時10分から  第6回堀船郷土史を語る会(歴史講演会)堀船郷土史を語る会主催

1.会長挨拶  2.歴史講演会 演題「田中煉瓦工場、レンガを焼いた半世紀」 演者 田中 葉子先生 所属 北区飛鳥山博物館 事業係 学芸員  3.郷土史を語る会 幹事挨拶

 

 


2017年11月9日

新聞やテレビなどのニュースで、アスベスト(石綿)の害が報じられています。悪性中皮腫肺がんの原因であるからです。このアスベストは非常に安定で、熱にも強く永久的なものです。このため、ひところは「奇跡の材料」とされていました。子供の時、「石綿付き金網」を理科の実験の時に使いましたね。しかし、アスベスト関連の労働者(家族にも!)は、アスベストを吸引後20年以上経ってから、悪性腫瘍が発生してきます。つまり、太平洋戦争前から2005(平成17)年ごろまでは、「奇跡の材料」であったものが、今や「悪魔の材料」になりました。もっともっと、早くから使用禁止にすべきでした。「悪魔の材料」アスベストを見て下さい(顕微鏡写真)。この顕微鏡写真は肺の組織です。肺線維症の患者からのものです。この肺は、酸素と二酸化炭素の交換機能が失われ、茶色の鉄アレイ状・球状・太い針状のものがアスベストです。黒い砂状のものは、炭粉です。この肺は喫煙者からの組織でしょうか。この顕微鏡写真は、アスベスト症や悪性中皮腫の高度の専門家であり公的な役割を果たしておいでである国際医療福祉大学病理部 相田真介教授(私の医学上の共同研究者)から頂きました。

最近、福性寺の近くでも工場の解体工事が行われ、「アスベスト診断士」による目視検査により、建築材の一部にアスベスト(第3種で危険性が低い)がありました。しかし、安全に除去さたようです。現在、工場の解体により福性寺から隅田川(荒川)の堤防や対岸の処理場と団地を直接見ることができます(下の写真)。現在、新たな建物が墓地との境界のごく近く(1 m以内)に建設中です。完成すると堤防は見えなくなると思います。

それにしましても、何事もアスベストと同様に「昨日までは真実、今日からは嘘」なのでしょうか。疾患の治療でも、同様なことは、時々起きましたね。しかし、2500年以上、真理である釈尊(お釈迦様・仏陀・ブッダ)の教えは本当に素晴らしいですね。

アスベストのある肺組織の顕微鏡写真(国際医療福祉大学相田真介教授提供)

顕微鏡で見たアスベスト(茶色)のある肺組織(国際医療福祉大学 相田真介教授 提供)

 

 

現在の福性寺から見た隅田川(荒川)堤防  灰色の帯状のものが堤防 

現在の福性寺から見た隅田川(荒川)堤防  中央左右に広がる灰色の帯状のものが堤防 上方の左の処理場と右の団地は対岸の足立区宮城 川の水面は見えません 塀の近くに建物が立ちます

 


2017年11月6日

光明真言天井のLED(手前)と蛍光灯 LEDの方が明るいです 

光明真言天井のLED(手前)と蛍光灯(奥) LEDの方が明るいです

11月6日(月曜日)、7日(火曜日)には、本堂の照明設備を完全にLED化するための工事があります。同時に、本堂の床下に換気扇を設置します。このため、駐車場や本堂は、手狭でです。参詣には、足元にくれぐれもご注意頂きたいと存じます。なお、工事は野沢工務店と株式会社大越電気工業所(荒川区 電話03-3893-8833)が行っています。寺の本堂の工事で、大変丁寧な工事が行われています。工事中の写真をアップします。

なお、客殿は2年前にLED化が終わっています。


2017年11月5日

七五三のお祝いのために、大きなお寺やお宮に参詣の後に、福性寺のご先祖様にご報告のために墓参においでになるご家族が多いです。

ところで、私の尊敬するシアトル高野山(https://seattlekoyasan.com)の今中太定(たいじょう)師から「シアトル高野山2017年11月ニューズレター」が参りました。転載します。

食糧事情、衛生事情、医療事情が、現代とは比べものにならないぐらい悪かった昔は、幼少期を無事に生き抜くということが本当に難しく、江戸時代でさえ平均寿命は30〜40歳だったと言われています。7歳までの乳幼児死亡率が高かったのです。 12代将軍徳川家慶には、27人の子供(14男13女)がいましたが、成人したのは後の13代将軍家定ただ一人でした。

千歳飴の袋に、何かのスーパーヒーローではなく、笑顔で元気そうなおじいさんとおばあさんの絵があるのは、山あり谷ありの道のりの果てに、なんとか我が子に「そこ」に辿り着いてほしいという、切なる親の願い。それは今も同じじゃないかなあ。

合掌 太定

シアトル高野山 今中太定師

シアトル高野山 今中太定師


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