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2018年10月11日

興教大師のご紹介のお檀家 佐賀県人

最近、33回忌法要を行いました。都内の主要駅のすぐ近くに事務所を構え、一時はその駅前でレストランも経営していた方が、昭和の終わりに亡くなりました。

この法要にちなんだお話です。もう約60年も前のことです。この方がお寺の檀家になろうと、お寺を探していたらしいのです。広い意味での真言宗新義派(真言宗豊山派・智山派、新義真言宗、以下広い意味での新義派)所属のお寺で、住職が学僧である寺が、この方がお檀家になりたいお寺の条件でした。たくさんの僧侶に、この2点を満足するお寺をお尋ねになったらしいのです。というのは、ご出身が佐賀県であったためです。なぜ、佐賀県出身であると広い意味での新義派のお寺のお檀家になりたいのでしょうか?この方が興教大師・覚鑁師(こうぎょうだいし・かくばんし1095-1144年)の出身地・佐賀県鹿島市(新義真言宗誕生院)の近くのご出身であったためでした。わかりましたか??興教大師は真言宗の中でも、広い意味での新義派の基礎を創った方です。つまり、郷土出身の興教大師に強いあこがれの気持ちを持ち、「興教大師のご宗旨(広い意味での新義派)」のお寺を探していました。また、興教大師は、お大師様(弘法大師)以外では、「唯一の真言宗の哲学者」と言う人もいます。また、常に教学に没頭していたことから「学問のほとけ」と興教大師をお呼びする人もいます。まさに、学僧の中の学僧です。

福性寺の興教大師様(ご本尊様左)学問のほとけ 明治維新直後の上地令文書(明治4年・1871年)にも記録があます お招きして200年となります

南無興教大師 福性寺の興教大師様のお像(ご本尊様左)「学問のほとけ」様です 明治維新直後の上地令文書(明治4年・1871年)にもお像の記録があます 記録によるとお像を福性寺にお招きして約200年近くとなります 毎朝ご本尊様と同様に献茶をしています

たまたま、福性寺の先代住職がサンスクリット語(梵語)の仏教経典の研究者であり、シルクロードのオアシス国家(ウテン=ホータン国)の言語を解読し、生涯で8冊の研究書をなしていました。このため、この方の目に留まったようです。さらに、先代住職は真言宗豊山派の学頭・勧学(学僧最高位)でした。以上からか、わざわざ国鉄(現在のJR線)で、なん駅も乗って、さらに駅から離れた貧しい(=お檀家が少なく資産のない)福性寺のお檀家になりました。本当に有難いですね!

こちらのお檀家は、福性寺では「興教大師にご紹介頂いたお檀家」ということになっています。この方にお檀家になって頂いたことは、興教大師の教学の大恩に加え、さらに「目に見える大恩」ですね。

ちなみに、真言宗豊山派のお寺では、毎朝、本堂で読経の最後に、南無大師遍照金剛 南無興教大師 南無専誉僧正と3回ずつお唱えしています。

機会を見て、先代住職のサンスクリット語の恩師である荻原雲来教授(大正大学教授)と同僚であり恩師である久野芳隆教授(大正大学・台北帝国大学教授)について書きます。いずれも、ドイツ語やフランス語に優れ仏教学・サンスクリット経典を研究した皆様です。


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