真言宗豊山派白王山中台院福性寺真言宗豊山派白王山中台院福性寺
  • おばあさん、おじいさんとも歩きたい(陳情中)

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2019年6月20日

もはや花托だけになっています

もはや花托だけになっています オシベ(雄蕊)がちらほら見えます 種を包む花托はメシベ(雌蕊)と表現してよいのでしょうか?花弁は鉢の中に浮いています

前日の記事にある同じ花の写真です。開花後4日目の早朝です。

すでに、花弁は水の中に落ちていました。黄色の花托だけが残されています。茶色のポツポツとしたものが種子となります。次の世代を作る準備ですね。再生よりも新生ですね。

早朝に、本日(6月20日)の読売新聞のコラムの記事「四季」を読んでみては?とのお話頂きました。そこには、「長谷川櫂」氏によるコラムがあり「早朝、蓮池に乗り出して花を眺めるのが蓮見船」とありました。蓮華を見るばかりではなく、蓮の開花の音を聴くためにも、乗り出すのでしょうか?そのような生活があるなど、思いもよりませんでした。なお、「長谷川櫂」氏を俳人とご紹介しておきます。


2019年6月19日

3日目の花です 2日目の花と比較すると若々しさが欠けてきているように見えます

3日目の花です 2日目の花と比較すると若々しさが欠けてきているように見えます それでも虫には魅力があるのでしょうか? 虫が見えます

昨日、一昨日と同じ蓮の花をアップしました。昨日も一昨日も、午後からは花は閉じていました。

3日目になると、花の色がややくすんだ感じです。さらに、オシベ(雄蕊)の状態がよくないですね。オシベが立ち上がっていません。また、一部が欠けて粗になっています。そろそろ散る支度が整っているようです。

一つの花にも老化現象!があるのでしょうか?ツボミから3-4週間目です。

数日のうちに、次の花が咲きます。

墓参のおりに、ご覧下さい。


2019年6月18日

写真は昨日と同じ蓮の花の二日目の姿です。今日の早朝、日が当たる前に撮影しました。

釈尊(お釈迦様・ブッダ)の母・マーヤー夫人は、ルンビニー園で釈尊を出産しました。生れ故郷(釈迦族の国の隣国)に帰る途中でした。釈尊は産まれた後、七つの蓮の花の上(近く)を歩まれましたね(7歩)。以下のリンクをご覧下さい。

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1133

全く関係のないお話で申し訳ありませんが、カレーライスは二日目が少しですが美味しいと言う人がいます。今日の蓮の花は、昨日よりも、レベルの違う美しさではありませんか?

福性寺のホームページの「最新ニュース/講演会情報」(住職のブログを兼ねています)のカテゴリー分類の「釈尊の物語」を選択して、釈尊にかかわるお話をさらにお読み頂けましたら、有難いです。

昨日の蓮の花 完全に開きました 明日・明後日には散ります

昨日の蓮の花 完全に開きました 明日・明後日には散ります 次の花芽(ツボミ)が開花中の花の下に見えます


2019年6月17日

今年最初の蓮華です 写真よりも実物が美しいです

今年最初の蓮の華です 写真よりも実物が美しいです 上手に写真が撮れませんでした

今朝、今年初めての蓮の開花がありました。もう、夏ですね。開花後3日目から散り始めます。

新盆供養法要(7月7日・日曜日)や盂蘭盆会(うらぼんえ、7月13日~15日)にも、蓮の花を観ることができると思います。散歩もかねて墓参においで下さい。今年のお盆は、土曜日・日曜日・海の日です。

今年のゴールデンウィークの「10連休」にも、たくさんの墓参の皆様がおいでになりました。連休には墓参ですね!

まだ、蚊の被害は少ないようです。

蚊などの虫刺され予防のために、盂蘭盆会の直前に樹々を消毒します。お子様をおつれしても、安心して墓参できます。


2019年6月13日

延命地蔵様のお家が修理塗装のあと元の位置に戻されています

延命地蔵様のお家が修理・塗装のあと元の位置に戻されています 宙づりです

門前の延命招福地蔵菩薩のお家の修理が完成しました(写真)。土台の木材を入替え、ペンキを塗り直しました。先代住職の時代の本堂の塗装と同様に、ピンク色のままです。ご記憶の皆様もおいでと思いますが、40年前は本堂もこの色でした。現在はアイボリーです。

昭和55年・1980年に鉄板ぶきから、銅板ぶきにしました。ちいさな木造のお家でも40年以上前のものです。私(昭和24年・1949年生まれ)の記憶のある範囲では、このお地蔵様はいつも、お家の中にありました。大切にされています。お寺の中の工事や修理は、買い替えるための既製品がありません。全てオーダーメイド(笑)で高価で困ります。しかし、大工さんは3日、ペンキ屋さんには2日間かけて丁寧により堅固になるように仕事をしてもらいました。

なお「延命地蔵」の文字(写真)は、実は私が書いたものではありません。平成23年・2011年に亡くなった母・雅子が書いたものです。

「福性寺の歴史第5版・第6版」48ページに昭和57年・1982年の延命地蔵様とお家の写真があります。

「延命地蔵」様(天和2年・1682年建立)については、最近、続けて記事を書きました。リンクは以下です。

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3547

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3594

延命地蔵菩薩 お家を修理するまで忘れていましたが母・雅子が書いたものでした

延命地蔵菩薩 お家を修理するまで忘れていましたが母・雅子が書いたものでした ペンキで書いてあります

 

 


2019年6月9日

前回(6月4日ニュージーランドの大仏様 ニュージーランドワイン)に、書きますとお約束した留学時の医学的な記事です。

すでに住職になってからの留学で、長い時間は寺を留守にはできません。このため、短期集中(短期決戦?日本人が得意ですね!)を目指しました。この間、栃木県藤岡町の矢田正幸師、母と家内が寺で頑張りました。

「白人に多いバレット癌の発生母地=バレット食道」の研究のために、留学しました。この一連の疾患は、日本では少ないです。しかし、欧米ではとても高頻度です。多分、日本でも頻度が上がると考え、診断する力を上げるためと、原著論文を書くために出かけました。実際、前記の疾患の頻度は、日本で上がってきています。ギャンブルは一切しませんが、予想は的中!しました。

これらの疾患は「胃食道逆流症」が原因です。文字通り「胃液などが食道に逆流」するために発生します。胸やけや胸部の不快感が主な症状です。胸やけを感じる皆様は、内視鏡検査のできる医師を受診して下さい。適切な薬があります。「前かがみ」になると、症状が悪化したりすることがあります。何度も逆流を繰り返すと、食道が胃や腸のような粘膜(=バレット食道=前癌病変)となり、バレット癌が発生してきます。

ところで、大きな仏様の両脇の小さな仏様(脇侍)や弥勒菩薩様は前かがみですね。これらの仏様に参拝したあと、仏様を注視すると、必ずと言っていいほど「胃食道逆流症」を思い出しますね。このようなことを考えるのは、医師でも僧侶でも、私だけかな!と思い笑ってしまうことがあります。

元寇に備えるための防塁です 今回、福岡に出かけましたので何か所かの防塁を見に出かけてきました 3人のタクシーの運転手さんは観光客を一度も防塁に連れてきたことがないとのことでした 歴史好きにはたまらない場所でしたけど どこの防塁も大変立派で北条時宗の強い決意(日本防衛?)と建築期間が「長期戦」であったことを知ることができます

元寇防塁 福岡で防塁(石築地)を見てきました 3人のタクシーの運転手さんは観光客を一度も!防塁に連れてきたことがないとのこと 歴史好きにはたまらない場所ですけれど どこの防塁も大変立派で総延長は20kmとのこと また長崎県にもさらに長い防塁があるとのことでした 北条時宗の強い決意(日本防衛?)と防塁の建設が「長期戦」であったことを知ることができました

留学が短期間であっても、論文を書こうと思っていました。雑事や観光はしませんでした。ホテルに居て、洗濯も自分でしませんでした。しかし、5カ月間に1報の原著と1報の症例報告論文を書いて帰国しました。その2論文は、他の医学者の書いた10論文の中で引用されています。留学により、少しだけですが、社会に有用な論文がかけたかな?!と思っています。その後、現在までに、前記の疾患に関しては20報以上の英語論文を発表して、すっかり得意分野(笑)になりました。

このため、何度もこの分野の講演者として招待されています。最近も、第97回日本消化器内視鏡学会(会長:昭和大学井上晴洋教授5月31日~)では、臨床医の発表に病理医としてコメント(意見や補足的な見解を加える)する役割でした。また、福岡(写真)での日本食道学会(会長:九州がんセンター藤也寸志院長6月6日~)の特別発言者(複数の講演をまとめる)に指名して頂きました。このところ、医学会での役割を楽しんでいます。

以下、留学中にお世話になったJass教授の記事のリンクです。

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/699

 


2019年6月4日

先日、なつかしいニュージーランド産の白ワインを見つけました。とても安いので買って飲んでみました。味はうすくてちょっと水っぽい感じでした。(笑)しかし、留学中はとてもおいしかったのですが。

私の留学について思い出したことを書きます。白人に頻度の高い疾患(将来、日本でも頻度が上がると考えました)を研究するために、「白人が多い国で治安のよい国」を選びました。ニュージーランドですね。平成6年・1994年12月からニュージーランドのオークランド大学・病院・子供病院に留学していました(客員教授)。

しかし、毎週、土曜日・日曜日、また時には平日も、オークランド郊外にあるチベット仏教寺院(http://kagyu.org.nz/)で、真言宗のお経を読ませて頂きました。医学研究のために留学しましたが、思いがけずチベット仏教の有り様を学ぶことができました。自然を特に大事にする人々が寺に集まってきていました。アジア人はほとんどいませんでした。午後からは、平日と同様に研究所に出かけるか、ユダヤ人墓地や公園で読書をしましたね。

ニュージランド・オークランド市郊外の大仏様(New Zealand Karma Kagyu Trustから転載許可済み)

ニュージーランド・オークランド市郊外の大仏様(New Zealand Karma Kagyu Trustから転載許可済み)です この大仏様のある寺で真言宗のお経を読ませてもらっていました 1992年に開眼供養法要が行われ私の留学時には黒いお姿でした 最近金色になりました 7mの高さがあるらしいです

留学中、高い夕ご飯を食べることができません。安いレストランを探して食べました。和食レストランは、主に韓国人がオーナーで値段が高かったです。このため、シンガポールレストランと韓国料理のレストランの常連でした。週末の夕食時には、白ワインを飲みました。しかし、ボトル四分の一か三分の一程度しか飲むことができませんので、残りはシンガポールレストランでは、店主が飲んでいました。このため、私が出かけると店主から大歓迎をうけました。そのお店は、グラスワインがなかったのです。ボトルで買いました。

この他にも、ブラジルのサンパウロ大学などから教えに来るように要請がありました。しかし、長く寺を留守にすることができないのでお断りしました。それでも、講演は引き受け、ルーマニアなど日本人観光客の少ない国にも出かけました。

最近、日本人の医学者の海外留学が少なくなっています。一つには、日本の医学(消化管学など)のレベルが上がったこともあります。しかし、エトランゼ生活は楽しいですし、研究に打ち込むことができます。私の推薦で留学した医師も何人かいます。積極的に推薦状を書いたり、海外の名の通った医学者を紹介するようにしています。

ニュージーランドのお寺のサイトですKarma Choeling Buddhist Monastery.

この記事と関連する留学中の研究と医学に関連する記事を次回に書きます。

 


2019年6月2日

門前の石仏様 写真左下に東洋紡績の社員が奉納した「一体の水鉢と線香立て」が見えます

門前の石仏様 写真左下に東洋紡績の社員が奉納した一体の「水鉢と線香立て」が見えます 六阿弥陀一番目道地蔵尊の左となりの舟形の石の前です 現在お地蔵様の家(木造ペンキ塗り)は修理中で車庫の中にあります

前回の記事に引き続き門前の石仏様などについて書きます。

延命地蔵尊と左六阿弥陀一番道地蔵尊の左に、施主名の書かれた水鉢と花立て(一つの石)があります(写真)。以下が書き込まれています。

世話人 川島久吉 水野□次郎 松木源吉 中川トヨ 東洋紡績有志一同 大正八年□□ (1919年)

奉納から100年後では、石の風化により、お名前を読むことができない字ができています。

勤務先の工場の近くのお地蔵様に、寄付をする方がいたんですね!お地蔵様が、あんまりボロボロで貧しく同情して奉納したのでしょうか?「東洋紡績有志一同」様がそろって新調した「水鉢花立て」の前で、お参りをしたのでしょうか。

東洋紡績は以前のキリンビール、現在のプリントメディア(読売新聞など)の敷地にありました。明治41年(1908年)に下野紡績の工場として始まり、昭和16年(1941年)までありました。それ以降(昭和17年1月以降)は、東京第一陸軍造兵廠に工場敷地を貸与し、戦後払い下げになりました(堀船郷土史平成増補版、平成28年発行)。

ところで、福性寺には、東洋紡績の社員であった2軒のお檀家がおいでです。驚きませんか?いずれも篤信のお檀家です。世代を経たあとも、お互いのお家のご先祖様が東洋紡績の社員であったことをご存知です。東洋紡績の全国の支社をお回りになったお檀家のご子孫は、私と、海外を含めた参拝旅行に出かけています。そのおり、東洋紡績の社員であったお父様のお話をして下さいました。私の父ととても昵懇のお父様でした。いずれも、福性寺にとって大切で有難いお檀家です。

ある時、こちらのお父様が消化器の悪性腫瘍になり禁食でお過ごしとのことで、ご家族から相談を受けました。「お父さんは食いしん坊で、食事ができないので、とてもかわいそうです」とお聞きしました。お肉が好きでした。物を食べると出血すること、進行癌であることと、ご高齢であることのために手術をしてもらえないとのことでした。しかし、私の身近な病院で、口から食べることができるようにすることを目的として、手術をしてもらいました。治癒を目指すことだけが医療ではありません(5月25日記事)。

また、この病院は患者の老化の程度を年齢(カレンダーエイジ)ではなくて、実際のお身体の状態で判断しています。単に、実年齢だけで手術の適応(医療の中の正当性)がないなどとは言わないです。とても誠実な病院です。

数年して、再発することなく癌以外の病気で亡くなりました。お嬢様からは、美味しものを何度もたくさん食べてもらえたことと、昔の話を繰り返し聞くことができて、うれしかったと感謝されました。多分、手術後もおいしいステーキをお食べ頂けたと思います。葬儀は私が執行しました。


2019年5月29日

親はいつも子供の健康と成功を祈念しています。最近の子供虐待のニュースにであいますと、そうでもないのかな?と悲しい気持ちになり心配になります。

ところで、福性寺門前には「延命地蔵」様(天和2年・1682年建立)が安置されています。前回の令和元年5月25日の記事に写真があります。リンクは以下です。

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3547

六阿弥陀一番目道のお地蔵様

江戸六阿弥陀一番目道のお地蔵様 お顔の表情がわかりませんね しかし舟形の右下にお施主様名があります

延命地蔵様は昔から子供の長命と加護をお願いする仏様です。この仏様にお参りすることは、子を守り寿命を延ばすことを地蔵菩薩の誓いにしてもらうことです。そのような願いは、医療の発達していなかった時代、子供が亡くなることが多かった時代には、切実であったと思います。このためか「お地蔵様」や「お薬師様」(別名を「医王善逝」)をご本尊様とするお寺はとても多いです。子供への愛情は時代によって変化していないと信じたいです。

延命地蔵様の左にも舟形のお地蔵様があります(写真)。お地蔵様の左には「六阿弥陀左一番目道」と彫り込まれています。福性寺のお隣の「江戸六阿弥陀」第一番札所の西福寺様への道標となっています。右には、明和7年・1770年2月に建立と記され、「施主 石井与市右□□」様と書かれています。お名前の「右□□」の部分は、右ヱ門様でしょうか?ご自分の長命を祈念するよりも、お子様・ご子孫の健康長寿を祈念して、この仏様を建立したのでしょう。石井家は福性寺のお檀家の10%近く(20軒)を占めています。

この記事は「福性寺の歴史」(3400部近くを配布済み)の次の版(第7版)に追加の予定です。

梶原商店街の愛宕地蔵尊関する記事は以下です。

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/724


2019年5月21日

燈篭と燭台の右の蓮のモデルが常花です

常花は須弥壇の上にあります 燈篭と燭台の右の蓮のモデルが常花です 花瓶を含めて1.4 mの高さです ご本尊様とお大師様(弘法大師)が左右になってしまいしました 右上(お大師様の上)にはご本尊様の応援団である飛天の天衣(はごろも)が見えます

5月17日の記事の中で、ご本尊様の両隣には、常花(じょうか)と呼ばれる金箔おしの木製の蓮華が置かれていますと書きました。毎日、朝と晩に2回見ている常花を見たいと言う方がおいでになるとは、思いませんでした。見たことがないとのお知らせを有難うございました。

常花とは、いつも同じ姿の花を意味していますか?ご来寺のおりにご本尊様の左右を見て下さい。また、ご法事のおりなどには、写真説明の中にある飛天(昭和45年・1970年 石井英四郎様ご寄付)も注目下さい。

今朝も献茶をしました。数日前までは、2軒のお檀家から頂きました新茶をご本尊様やお大師様に献茶していました。私も頂きました。高価なお茶を有難うございました。

現在は、私が埼玉県立がんセンター研究所で同僚であった医師から頂いた新茶を仏様に差し上げています。大変な量のお茶を頂きました。当分、仏様の献茶のあとのお茶を私も頂きます。かさねて有難うございました。

 

 


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