住職を喜ばせますね!「法事をすることができて幸せです」ですから。週末の年回忌法要のあとの世間話の中で、故人の娘さんから聞きました。
ご両親から東京に住むようになりました。ご両親は「東京初代」ですから苦労をして一定の財を成したようです。お子様方はそれぞれ家庭を持っています。ご立派です。ご両親(故人)を尊敬しています。
最近では、なかなか生活が大変でお葬式やご法事をすることができないという方に出あいます。
ところで、江戸時代や明治時代には、葬儀、追善供養やお墓の建立が盛んであったと思いがちです。しかし、そうでもありません。
江戸時代の貧しい人々は、共同墓地的な場所に埋葬されていたと読んだことがあります。石塔もなかったと聞きました。
極端かもしれませんが、吉原遊郭の遊女をみて下さい。荒川区の都電三ノ輪橋駅近くの浄閑寺を思い出して下さい。「投込み寺」などとひどいことをいう人もいます。
近くの吉原の遊女が亡くなると、二百文(?確か)付きで葬ったと読んだことがあります。
しっかりお墓があるのは、明治時代の悲劇の遊女「若紫」のお墓ぐらいです。絶世の美女であったらしいです。
「ひまわり地蔵」もあります。浅草の山谷などの身寄りの見つからない皆さんの供養塔です。
永井荷風でなくても、出かけてみたいお寺ですね。門の中に駐車場があります。
また、多くの宿場、内藤新宿や品川宿にも、同様の寺や埋葬場所がありました。また、多くの寺に共同墓地のスペースがありました。
石塔は裕福ではないと作ることができなかったようです。しかし、どのお寺でも身分などにかかわらず全ての仏様にお戒名を授けて丁寧に埋葬していました。過去帳が今に伝わっています。
深く考えませんでした(住職失格!)が年回忌法要や墓参ができることは「幸せです」ね。
令和4年2022年5月3日浅草散歩 永井荷風「吾妻橋・道子」そしてお墓と連休https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/12078
令和4年2022年9月22日・・・目 墓地がにぎわいました でも・・・ 永井荷風氏「問はずがたり」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/14025
墓参にとってよい気候となりました。昨日、一昨日はたくさんの墓参の皆様がおいでになりました。
この後も温かい日を選んで散歩がてらおいで下さい。
花祭りは4月7日日曜日8時から15時まで。施餓鬼会は4月23日火曜日10時開始です。散歩がてらご参加下さい。
サクラが終わると、施餓鬼会ごろから境内では芍薬:シャクヤクが咲きます。100個(本当です)ぐらいのツボミが見えます。
外出はフレール予防と認知症予防となります。
平成31年2019年1月22日2回の追善供養法要 フレイル・サルコペニア?https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2529