昨日16日にご両親様とお兄様の仏様をおくるために墓参においでになりました。故人であるご両親様は、長くご商売をしていました。仕事熱心でした。堅実でした。
平成の初めごろ、最初の仏様の葬儀の時にお母様が何の質問もいただかずに、何の前提もなくお檀家になりたいと、また葬儀の執式を依頼されました。私が執式しました。
16日の会話です。16日の送り盆ですね?「16日でもいいと書いてあったので」「1日でも長く家にいてほしいので」アー・・・!親孝行ですね。とても心に響きました。
確かに、16日が送り盆のお檀家もいますと書いたことがあります。あまり深く考えずに「状況説明」として書きました。
以下の文章が薄井秀夫氏の著書の中にあります。
信仰は単なる思想ではない。人の営みである。そこには「大切な家族があの世でも安らかであって欲しい」という切なる想いが込められている。葬式仏教は、日本人の生活のなかで信仰してきた、紛れもない宗教なのだ。薄井秀夫氏著「葬式仏教—死者と対話する日本人」産経新聞出版3ページ令和6年6月。
送り盆の日にちなど、強くいう必要はないですね。
令和5年2023年7月16日送り盆は16日ではないんですか? https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/18956
令和6年2024年6月30日 「お盆の墓参においで下さい」手紙https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/23637
令和2年2020年8月30日被爆者のお骨とご先祖様の土(新しいお檀家)https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/6786
令和元年2019年7月15日 送り火はいつたくのですか?https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3896