昨日は葬儀を執式しました。一昨日は通夜でした。通夜ではご家族の悲嘆を少なくするために、所作と経典の説明をつくしました。つまり「随時解説の葬儀」です。
故人は、華道と茶道のお稽古を楽しみにしていたようです。華道・茶道の世界のお友達も、通夜・葬儀・火葬後の初七日法要・お斎(昼食)においでになっていました。
遺影は親しみのある笑顔でした。私のよく知っているちょっと前のお顔です。
喪主の奥様=故人のご子息夫人が言うのです。遺影は故人自身が「だいぶ昔に、ちょっと出かけてくるから、といって撮影し用意していました」
遺影の中の「ネックレスは私の手づくりです」義理のお母様は「(高価な)貴金属のネックレスを持ってるのですが・・・」
つくづく仲のよいお母様とご子息夫人です。お母様はご子息夫人に何かを伝えたかったのでしょうか。日々のご子息夫人の努力に対して、感謝の気持ちを伝えたかったのであろうと思います。
ご子息夫人は社会人としても、職業人としても家庭人としても、努力家です(正命・正精進)。
仏様になっても、亡くなった後でも、ご子息の家族、特にご子息様夫人に感謝の気持ち伝えているようです。
遺影も、義理のお母様についていろいろ語るご子息夫人も仏教的で大変美しいと思いました。釈尊(シャカ・ブッダ)のお考えのようにです。
令和3年2021年1月28日「その時に使ってほしい写真を撮影してあります」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/7816
令和5年2023年2月14日死んだ後の顔を他人に見てほしくないな お元気な時のお顔をご記憶下さい 自己融解とは https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/16585
令和2年2020年4月7日 「あの人は面食いではないんです!」広域飯能斎場にてhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5819