今日(1月22日)の読売新聞の投稿欄に、ある69歳の方の切実な声が載っていました。 昨夏に膝を痛められたそうで「5分でいいから足を休ませる場所が街中に欲しい」「そんな優しい街になれば」という願いで結ばれていました。
実は私自身も76歳となり、去年、何度か(笑)転んでしまいました。以前のように長い時間立っていることが難しくなりました。ですから、この投稿者の気持ちが痛いほどよくわかります。
福性寺の門の外にある御影石の椅子には、毎日どなたか高齢の方が腰掛けて休んでいらっしゃいます。
その光景を見るたびに、座れる場所の大切さを実感します。
福性寺の墓地では「どの墓所からも10メートル以内に、必ず椅子かベンチ(手荷物置き場兼用)がある」ように整えています。今月中に一ヶ所増設します。
休息スペースを作るために、あえてご自身の墓地を少し削って場所を譲ってくださった檀家様もおいでになります。まさにこれは、仏教で言うところの「代受苦(だいじゅく)」の実践ではないかと私は考えています。代受苦とは、仏や菩薩が慈悲の心から、他者の苦しみを自ら代わって受けることでしょうか。
「狭くなっても、誰かがここで一息つけるなら」という檀家様の慈悲の心が、この10メートルごとの椅子には込められています。
一方で、街の中からはベンチや椅子が次々と撤去されているという寂しい話も耳にします。 外国人の長時間占有や、飲酒といった迷惑行為や防犯上の理由があるようです。利便性や管理のしやすさが優先され、困っている人や高齢者への視点が抜け落ちていると思います。
そう考えると、一歩山門をくぐった先の世界は、やはり「聖域」なのだと感じます。
効率や防犯といった理屈を超えて、ただ純粋に「お参りに来る方の苦しみを少しでも和らげたい」という想いがある場所だからです。
膝や腰に不安がある方も、どうぞ安心してお参りにお越しください。
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