お彼岸の入りの日です。江戸時代からのお檀家のご家系の皆様の墓参が多いです。
前回記事に以下を書きました。福性寺の推奨(笑)彼岸参りは「読経会の前に墓参、冷房のある読経会に参加して、涼んでから帰宅する」です。
たまたま読んでいるお檀家が言っています。(故人である)父のお名前がありますと。お彼岸の墓参に来ました。
「山門建設寄付者芳名(敬称略)」のことです。昭和54年1979年に作られました。
ご本尊様からみて山門内側左にあります。
この銘板は、普通は風化しないようです。しかし、最近の酸性雨により、字が見えなくなってきました。
故石井裕子様(銘板にもお名前があります)の寄付品です。石井様と私の前で、業者がアルミ製の古いお弁当箱を持ってきて、その花模様が美しいままであることから「銘板も50年や100年は大丈夫です」と話していました。半永久というわけです。文字は株式会社写研の故石井茂吉氏の石井楷書体で書かれているのではないかと思います。
銘板をお一人で寄付をして下さるお檀家がいました。80万円でした。
あらためて銘板を見てみました。山門の寄付の金額は、1万円から55万円の寄付をいただいています。55倍!です。私も医師として給与をもらい始めていましたので、寄付をしました。
昭和の時代ごろまでは、住職も寺の総代様・世話人様も、お檀家の各ご家庭の経済・収入がある程度正確に、または、おぼろげながらもわかっていました。収入に応じたご寄付を頂いていました。同じ町に住みお仕事や不動産の所有状況などからです。
収入に応じたお布施を頂くこともできました。
一律ではなくて、収入に応じたご寄付を頂くことが可能でした。また、裕福な皆様が自発的に高額の寄付をしています。ノブレスオブリージュですね。
よい時代でした。平等ではなく公平ということでしょうか。
機会をみて本堂と客殿の寄付金額についても書きます。
山門の由縁があります。たくさんの慶事のプレゼント:お祝い品です。
平成29年2017年12月30日 年末恒例 山門の清掃https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/909
酸性雨と風化。
令和3年2021年3月10日 私の代の最後の客殿の塗装 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/8371